エイガジェル

映画について書くブログ

史上最悪の鬱映画?『ミスト』について紹介します【あらすじ】【どんな話】

最悪のラスト、史上最悪の胸糞映画と言われる『ミスト』について書いていきたいと思います。

モダン・ホラーの帝王スティーブン・キング原作とフランク・ダラボン監督が生んだSFホラー映画です。

ダラボン監督は自身が制作した4作の映画のうち3作がスティーブン・キング原作、しかも3作ともが傑作と名高いキングとめちゃくちゃ相性のいい監督さんです。

ジョージ・A・ロメロ(クリープ・ショー)やトミー・リー・ウォーレス(IT)と並んでキング作品の映像化回数が最多の人になっております。
ミストの映画オリジナル結末をキング自身が絶賛したという逸話もあるほど。

ダラボン監督の撮った『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』は筆者も視聴していますが、名作です。
2作とも過剰な描写やファンタジー表現はなく、むしろ非常にリアリスティックに物語が進められます。そしていつの間にか引き込まれ、巻き起こる衝撃的・不思議な出来事を追体験することになるような作品でした。
日常から非日常への変移を描くのが上手い監督で、そこがキング作品とハマるゆえんだと思います。

あらすじ

 


アメリカのある田舎町を嵐が襲った翌日。
家族3人で暮らすデヴィッドと8歳の息子ビリーは地元のスーパーマーケットに向かった。
買い物をしていると突如店の周りに霧が立ち込め、霧の中から血だらけの人間が出てきて店に押し入った。

「外に何かがいる」

地元の住民たちは急いでスーパーのガラス戸を封鎖したが...

霧の中に『何か』がいる、パニック・ホラー

 


ラストのオチには言及しませんが、この先ネタバレありますのでご注意ください。

やれ光化学スモッグだ、やれただの霧だ、いや化け物だ。
スーパーにいた住民たちは霧の正体について話し合います。

主人公デヴィッドは化け物を実際に目撃していたので他の住民たちに店から出ないよう忠告しますが、「そんなアホな話信じられるか!」と迷信は信じないぞグループは軍の助けを求めて早々に霧の中へ出て行ってしまいました。

スーパーに残った地元民の中にはミセス・カーモディという頭のおかしいおばさんがいて、「これは人類への罰だ。いけにえを捧げなければ!!」などと演説し、住民の不安を煽ります。デヴィッドたちビリーを守らなければグループは水を得た魚のようになっているカーモディを冷ややかな目で見つめていました。
カーモディもまた変人ではあるけれど自分の頭がおかしいと思われていることには敏感で、実はデヴィッドたちを嫌っていました。

 


普段は頭のおかしいおばさんだとあしらわれていたカーモディが徐々に信者を獲得していく様子がこの映画のキモになっています。
最初のほう生贄がなんとか言ってたよな…という嫌な予感の回収もあり、正気組のデヴィッドたちがどんどん少数派になっていくのがマジで嫌な感じです。

人間嫌いがまさに人間を嫌っている理由が見事に描かれています。さすがキング、ルーザーズ出身。

 


本作は『鬱映画』や『胸糞映画』として有名ですが筆者はそこまでではないと思います。むしろ化け物に襲われるドキドキハラハラ感とどんどん嫌な方向に進んでいく群集心理がめちゃくちゃ調度いい秀逸なホラー映画だなと。

ジャパニーズホラー系が苦手だけどやっぱりときどきホラー映画が見たくなるんだという人におすすめです。

ミスト見ても夜はしっかり眠れます。(当社調べ)

結末はたしかにひどい。

 


もし自分に子どもがいてビリーを守るデヴィッドに感情移入しながら見ていたとしたら、けっこう落ち込むかもしれません。
子どもがいる人、いない人でけっこう受けるダメージが変わってくるかもしれないです。

 


筆者はこの映画2,3回見ていまして、ドキドキしたい・ちょっと嫌な気持ちになりたいときに選ぶのが『ミスト』です。オチを知ってなお楽しめます。

 


ドキドキしたい・ちょっと嫌な気持ちになりたい人におすすめの映画

 


キング作品が人気の理由として、嫌だけど嫌すぎないというところがあると思います。
キング作品にはすごい最悪なことをしでかす人間や愚かすぎる人間が出てきますが、最悪の行為そのものがメインではなく、己や他者の愚行に直面した人間の反応や葛藤がメインになっていることが多いです。

見終わったあと、嫌な方向に影響される感じがありません。

最近V6の森田剛さんが主演の『ヒメアノ~ル』を見たのですが、見終わったあとは家の鍵を確認したくなるというか、そこかしこにサイコ殺人者がいるんじゃないかという気がしてほんのり精神が不安定になりました。
スティーブン・キングの作品はそういう引きずられる感じがなく見れます。
おそらく作者キングの倫理観がめっちゃしっかりしているから&ホラーだけど作品の根底にあるのは家族や友人に対する愛だからではないかなと思います。

なので見終わったあとしばらく情緒不安定になるような映画は見たくないけど、それでもちょっとドキドキハラハラしたい、ホラー映画が見たいという人に映画『ミスト』おすすめです。面白いです。

 


では今回はここらへんで。
またお会いしましょう。カミオモトでした~。

クリストファー・ノーランは何を映画で描くのか。【フォロウィングからテネットまで】まとめ

エイガジェルではこれまで『クリストファー・ノーランをテネットする』という題で、ノーラン監督のオブセッションを探る企画を進めてきました。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は7作品を以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

前回いよいよインセプションについての考察が終わり、ノーラン企画もいよいよ終盤を迎えています。

本記事では

クリストファー・ノーラン監督のオブセッション
ノーラン映画の内容的変遷
ノーラン映画の魅力

以上3点をまとめ、本企画を終えたいと思います。

どうぞ最後までおつき合いくださいませ。

クリストファー・ノーラン監督のオブセッション

 


フォロイングからテネットまで7作品を通じて見えてきた監督のオブセッション

時間
SF
夫婦

でした。
『時間』に至っては全7作品を通じてあの手この手で観客を翻弄する手段となっています。文句なしのこだわりです。
『SF』についてはプレステージインターステラー、テネットなど、もうほとんどファンタジー扱いでいいのでは?というような現象にも、絶対に科学の力であることを譲らない監督の意地を感じ選出しました。テネットのエントロピーについてはもはや事件のような気がします。テネットエントロピー事件。

『夫婦』についても、インターステラーダンケルクを除く5作品において重要な役割を担っています。
初期から現在にかけて映画に登場する『夫婦』の末路も変わっていきます。

その内容の変化はそのままノーラン映画の変遷といってもいいくらいで、次章で考察していきます。

 


ノーラン監督の作品は『ダークナイト』で転機を迎え、そこから大きく内容も変わっていっているのですが、

時間
SF
夫婦

というのはダークナイト以前も以降もノーラン作品全体を通じて存在している主題でした。

ダークナイト以降、特にインターステラー以降からの作品で監督が繰り返し描いていたのは

命の選別
親子

でした。

命の選別という命題はインターステラーダンケルク、テネットの3作品である程度の解決を見たので、また次作、監督は新しい問いとともに映画を作っていくのだろうと予想します。

 


ノーラン映画の変遷

 


クリストファー・ノーラン監督の作品を初期・転換期・中期・現在で分けてみた表がこちらになります。

初期3作で描かれていたのは夫婦にまつわる破滅の話でした。
それからダークナイトの大ヒットによって、監督の作る映画の内容が変わっていきます。

初期3作が割と最悪を極めるバッドエンドだったのが、わりと分かりやすくダークナイト以降の作品はビターエンドに変化します。ダークナイトを筆頭にほろにがエンドが続きます。監督の志向が変わったというよりスポンサーの問題かもしれませんが。

また興行的にはダークナイトが転換期ですが、映画の内容的にはインセプションが特に大きな転換期になっていると感じました。
インセプションはまさに監督自身が映画を作る過程を映画化したものであり、インセプションを受けることによって癒されていくロバートは、映画を作ることによって癒されていく監督自身をものすごーく遠回しに描いているのだと思います。
(参考:『インセプション』あらすじと感想。しっかりしたハウル【ネタバレあり】ノーラン企画⑦)

ノーラン監督の自分を癒すための物語作りはインセプションを機に終わったのではないかなと思います。

インターステラー以降の作品はそれまでより大きく視野が広がり、

世界を救うこと
命の選別
自ら死を選ぶこと

など新しい問いの上で物語が展開していきます。

そして最新作テネットは前2作のテーマを踏襲しつつ、構造の完成度・物語の濃度が格段に上がった仕上がりになっていました。
次はきっと新たなテーマをもった作品が誕生するタイミングだと思うので、監督の最新作が非常に待ち遠しいです。

では最後に、ノーラン7作品を連続して見て感じたノーラン映画の魅力について書いていきます~。

ノーラン映画の魅力

ノーラン映画の魅力、ずばりこの3点を挙げたいと思います。

作品全体に通じる監督の理性
構成の美しさ
監督の時間に対するこだわり(のヤバさ)
作品全体に通じる監督の理性

テネットのニール、インターステラーのマーフとクーパーなど、ノーラン作品に出てくる人物は魅力的です。
3時間という短い(映画にしては長い)時間の中で描かれる彼らの人物像はとてもオリジナリティに溢れています。

彼らの特徴はものすごく頭がいいこと......に加えて、基本姿勢がものすごく科学的であることです。
どれだけ混乱の最中にあっても彼らは事実を冷徹に見つめ、選択を止めません。
かといって愛情のない冷たい人物が登場するのではなく、彼らはいつも愛に動かされています。

愛情と理性を併せ持つ人物たちがどのような選択をするのかを見たくてノーラン監督の映画を見ているといっても過言ではないかもしれません。

登場人物が好き=監督が好き、のようなものなので、やはり監督の性格・性質そのものが映画の魅力ですね。
映画の根底に流れるノーラン監督の生き方や考え方が好きなのです。

構成の美しさ

メメント、テネットを見た大抵の人が思うこと、何だこれは。

そしてあまりにも分からないため解説記事を読み映画の構成が理解できたとき、人はノーラン映画にハマるのでしょう...。

ノーラン映画の3大構成ヤバ作品には

1位 テネット
2位 メメント
3位 フォロウィング

を推します。
どうやばいのかについてはグーグルの海にたくさんある解説記事にお任せいたします。

フォロウィングメメントについては最初はやっぱりトガった作品を作るよね、というノーラン監督若気の至り説があったかと思うのですが(ないかな?)、まさかの最新作にて原点回帰。
見るもの全て置いていく監督最新作テネットには度肝を抜かれました。

しかしそのテネットもやべー分かんねーと思いながら解説記事を読み全体像を理解したとき、その構成の美しさにほれぼれしました。
なにからなにまでTENETというタイトルに集約されているのが本当にすごかったです。

TENETは回文性、インセプションペンローズの階段、プレステージは『確認・展開・偉業』と、ある概念に物語全体を象徴させるのがノーラン映画の特徴にもなっています。

監督の時間に対するこだわり(のヤバさ)

ここはあまり多くを語る必要はないかと思います。
監督の時間に対するこだわりはヤバイです。

初監督作品フォロウィングからあの手この手で時間ギミックを使用し、観客を翻弄し続けています。
もはや時間ギミックのない作品を一本くらい撮ってほしい位のこだわりです。

クリストファー・ノーランは何を映画で描くのか

 


クリストファー・ノーラン

時間という概念を使って夫婦、親子に関する物語

を描いているのだと思います。

あの手この手でわりと同じテーマを描き続けている監督さんです。

では、これにて『クリストファー・ノーランをテネットする』企画を終えたいと思います。

おつき合いくださりありがとうございました~。

カミオモトでした。

『インセプション』あらすじと感想。ほとんどハウルの動く城【ネタバレあり】ノーラン企画⑦

クリストファー・ノーラン監督第7作目、『インセプション』見ました。

記事のサブタイトルを『しっかりしたハウル(の動く城)』としている通り、クリストファー・ノーランのようなあくまで理性で物語を組み立てていくタイプの作家がハウルを作ろうとしたらこうなるんじゃないか?という作品でした。

『無意識やインスピレーション、夢』のような理由がないもの、根源的が分からないものについて、キチッと何から何まで完璧に構成するで!一応科学的根拠も手放さんで!な監督が挑んだんですね。

 


宮崎駿監督はノーラン監督とはきっと作品の作り方が違っていて、スティーブン・キング型なのだと思います。
スティーブン・キングは著書『書くことについて』で書くことを「創造的な睡眠」だと表現していました。
まるで白昼夢を見るようにどこからかやってくる物語を書き記す人を直感型の創作者と呼ぶのなら宮崎駿監督とスティーブン・キングはこのタイプなのだと思います。

一方で、ノーラン監督は直感型ではなくパズル型の創作者だという気がします。
構成ありきでそこにエピソードを当てはめていく人。

さらにノーラン監督は新しいマジックを作るみたいに、発想が新しいパズルを創り続けているところが面白いです。
新作ごとに絶対に時間という概念のずらし方を変えてきたりとか。
インセプションの構成は下へ下へ潜っていくパズルのようです。

インセプションの構成はこういう立体のイメージ+あの階段

ハウルインセプション、見た印象は全然違いますが本質的にはめっちゃ似ていると思います。
直観型の作家とパズル型の作家が「無意識」に関わる話を作っていったらそれぞれの作品ができるのではないでしょうか。
宮崎駿監督は無意識をフル解放することによって、ノーラン監督は無意識についてのアイデアを膨らませて、ハウルインセプションを作ったのでしょう。

2作とも『千と千尋』『ダークナイト』のあと、という監督史上最大のヒットの次作ということで共通しています。大ヒットを飛ばしたあとは無意識について掘りたくなるのかもしれません。

 


ちなみに直感型かパズル型かでいうと、スティーブン・スピルバーグはパズル型、ジョージ・ルーカスは直感型だと思います。
ピクサーなどは完全にパズル型のやり方で作品を作っていますね。

あらすじ

 


レオナルド・ディカプリオ演じるコブは妻殺しの犯人として国を追われていた。
大富豪サイトーはコブの罪歴を帳消しにする代わりに、ある仕事の依頼を持ちかけてくる。

ライバル企業の一人息子ロバートに、彼の会社を破滅へ向かわせる『思想のインセプション(植え付け)』を行う依頼だった。

 


コブと仲間たちはロバートの夢の中へ入っていくが、そこには死んだはずのコブの妻が存在しており...

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=ZfDm3s_IcqM
クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』についてはこちら。

第三回『インターステラー』についてはこちら。

第四回『フォロウィング』についてはこちら。

第五回『メメント』についてはこちら。

第六回『プレステージ』についてはこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』考察

第二回『ダンケルク』考察

第三回『インターステラー』考察

第四回『フォロウィング』考察

第五回『メメント』考察

第六回『プレステージ』考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

インターステラーでは

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

フォロウィングでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表
名前のない登場人物

メメントでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表

プレステージでは

構成の追求
SF

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてインセプションの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
フォロウィング
プレステージ

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

インセプションから見えてくる監督のオブセッション

 


夫婦

 


インセプションは夫婦の話でした。

キャラクターの中で人物像が掘り下げられたのは主人公コブと御曹司ロバートの二人くらいで、ロバートの掘り下げも割と表面的なところで終わっており、メインはコブと妻モルに起きた悲劇。
コブが妻を殺してしまった呵責にどう向き合うかの話でしたね。

ノーラン監督作にはよく『夫婦』がキーパーソンとして登場します。
フォロウィングでは、お互いに裏をかき騙そうとする二人。
メメントでは、盲目に失った妻を追い続ける夫。
プレステージでは妻を騙し続ける夫。自ら死を選ぶ妻。
テネットでは、妻を支配しようとする夫、夫を殺そうとする妻。

そして本作インセプションではレオナルド・ディカプリオが愛し合うが故に妻を殺してしまった夫を演じます。

ノーラン作品で円満そうな夫婦がいるのはインターステラーくらい。
そのインターステラーでさえ、作品上妻は病死してしまっています。

クリストファー・ノーランは円満な夫婦をおそらくどうしても描けないのでしょう。
監督のオブセッションは『不仲な夫婦』というよりも『円満な夫婦を描かない』というところにあるのかもしれません。

やっぱり『夫婦関係』や『親子関係』というのは創作の原点になりやすいのでしょうね。
そこに生じたトラウマが人を創作に向かわせる...…最近萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』を読みまして改めてそんな風に思います。

時間

 


淀川長治先生が徹子の部屋に出演したとき、不思議な夢についてお話をされていました。

夢の中で先生は雪の降る丘を登っていらっしゃっていたそうです。
丘の一番上には大きな松の枝があり、そこにもたくさん雪が積もっていました。
松の枝の下をくぐろうとしたら、積もっていた雪がバサーッと落ちてきて、そこで目が覚めた。

起きたら足元に積んであった本がバサーッと身体の上に落ちてきていたらしいです。

現実の世界で本が落ちてきたバサーッという瞬間は一秒にも満たない時間なのに、夢の中では丘を歩いて歩いて頂点まで来てそれからのバサーッということで、なぜそんな短い時間の中で長い夢が見れたんだろう、不思議だなというお話でした。

 


まんまインセプションですね。

潜在意識の高速化によって夢の中の一分は現実世界では一秒にも満たないという理論がインセプションという映画の根幹にありました。

淀川先生にインセプション見てほしかったですね。
絶対に雪の降る丘の夢の話をしてくださったと思います。聞きたかったー。

長治先生は夢の話に加えて、自分たちは長い長い人生を生きていると感じているけれど、霊界では私たちのタイムというものは一瞬なのかもしれない、とおっしゃられていました。

クリストファー・ノーランという絶対にサイエンス・フィクションを手放さない監督にいつか時間と霊界にまつわる話なんて撮ってみてほしいですね。ちょっと無理かな~。

 


日本とハリウッドの映画界を代表する方が二人とも同じ着眼点を持っていて、それについて世間に話をしているというのはとても面白いと感じました。
こういう出来事を不思議だと感じるきっかけになる映画があったりするのかもしれないですね。

天地創造

 


夢の中では自分が神様、あらゆるものを思い通りに作ることができる。
そこが本作インセプションの映画的な面白さであり、登場人物にまつわる悲劇の原点でもありました。

天地創造とは映画制作に通じる部分もあると思うので、超ヒット作であるダークナイトを世に出した後、監督は自身の『映画を作る』意識のメカニズムのようなものをこの作品で意識して整理してみたんじゃないかなという気もします。

物語を作るというのは自分の意識を何段階も深めていく作業である。
深層心理にある問いを描いていく中で、創作者はストーリーの結末を作っていく。
そこに描いた答えこそが、作者自身の意識さえ変えていく。

物語を作るというのは自分自身にインセプション(植え付け)を行うことだと言えるかもしれません。

作中ロバートは父との不仲という問題を抱えていましたが、コブたちに父との和解というストーリーの植え付けを行われることである種の癒しを見つけていました。物語を作ることで自分自身のトラウマを昇華していく過程と似せているのはほぼほぼ確定じゃないでしょうか。筆者は今ノーラン監督の『発想を映画にする技術』みたいなものに圧倒されて天を仰いでいます。

箱庭療法を自分自身にインセプション(植え付け)を行うことだ、という形で説明することもできるかもしれない。
このことについて河合隼雄先生とお話してみたいですね..................。うわーん。

ダンケルクの考察の『命の選別』という章にも書いたのですが、作品を追っていくと、監督のなかにも繰り返し描かざるを得ない問いがあること、作品ごとにその問いへの対応が変わっていくことが分かります。
監督も映画を作ることで自分自身がちょっとずつインセプションされていってるなーと感じ、それが映画の元になったのかもしれません。

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=ZfDm3s_IcqM
まとめ:『ノーラン監督』×(『夫婦』+『時間』+『天地創造』)=『インセプション

 


ダンケルクから見えてきたノーラン監督のオブセッション

夫婦
時間
天地創造

でした。

いよいよ『クリストファー・ノーラン監督をテネットする企画』、全作品を紹介し終えました!

最後にまとめの記事を書いてクリストファー・ノーラン特集は終了となります。

ではまた次回お会いしましょう。カミオモトでした。

『プレステージ』あらすじと感想。最悪の種明かし。ハリウッド半沢直樹編【ネタバレあり】ノーラン企画⑥

クリストファー・ノーラン第5作目の監督作品、『プレステージ』見ました。

最悪な方向へ進んでいく物語がすごく良い作品でした。

かなり好きだったので、ラストのラストの最悪のジャジャーン!については触れずに書いていきたいと思います。

 


映画の後味としては『パフューム ある人殺しの物語』に似ていました。

2作品ともとても上質な物語というところが共通していますね。

プレステージ、久しぶりに見た映画らしい良い映画でした。

 


あらすじ

 


完成された手品には3つの段階がある。

それは確認、展開、偉業(プレステージ)である。

 


観客に対し種も仕掛けもないことを証明し(確認)

その上で目の前のハトを消失させる。(展開)

再び消えたハトを出現させることで、初めてマジックは完成する。(偉業)

 


主人公のアンジャーとボーデンはある奇術師の元で下働きをしていた。

奇術師の助手をしていたアンジャーの妻は、ボーデンのミスが原因で水中脱出マジックに失敗し、事故死してしまう。

アンジャーの妻の死をきっかけに、二人は血を血で洗う復讐劇に足を踏み入れるのであった...

 


(出典:https://www.youtube.com/watch?v=99x64HQH6LM

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』についてはこちら。

第三回『インターステラー』についてはこちら。

第四回『フォロウィング』についてはこちら。

第五回『メメント』についてはこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』考察

第二回『ダンケルク』考察

第三回『インターステラー』考察

第四回『フォロウィング』考察

第五回『メメント』考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

インターステラーでは

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

フォロウィングでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表
名前のない登場人物

メメントでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてプレステージの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
フォロウィング
プレステージ

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

 


プレステージから見えてくる監督のオブセッション
構成美の追求

テネットを見たときからこの人はヤバいな…と思っていましたが、やはりノーラン監督の『映画構成の完成度』を追求する姿勢はものすごいです。

おそらく監督にとって映画はただのエンターテイメントストーリーではなく、構成やシナリオテーリングにさえも一貫したテーマを持たせて完成させるものなんだと思います。

とくに『テネット』は俯瞰すると映画そのものが一つのオブジェになってるような完成度の高い作品でした。
近年見た中では『スリー・ビルボード』が同じような印象を受ける映画でしたね。
こういう一筋縄ではいかない映画ほんとに大好きです。

そのメタ的なこだわりはプレステージにも表れていて、この作品は執拗なまでに『確認』『展開』『偉業(プレステージ)』の繰り返しでストーリーが進んでいきます。

例えば終盤では

アンジャーのステージ(確認)
アンジャーの死(展開)
アンジャーが再びボーデンの前に現れる(偉業)

 


獄中のボーデン(確認)
ボーデンの死刑執行(展開)
ボーデンが再びアンジャーの前に現れる(偉業)

と、アンジャーとボーデンはプレステージの応酬を行います。

そしてこの最後のマジックに関してだけは、映画のラストでそれぞれ種明かしが行われます。

その種明かしが本当に最悪でこのオチが好きな人は本当に好きだと思います。私はめっちゃ好きでした。

 


あくまでSF

 


テネットの『くぐると時間を逆行できるようになる回転ドア』も今回出てくる『科学者テスラが発明したある仕掛け』もなんですけど、どう考えてもファンタジー現象を、絶対に魔法や妖精の仕業にしないところがクリストファー・ノーラン監督のこだわりだと思います。

テネットではエントロピーインターステラーでは相対性理論プレステージではもはや『発明』という説明だけ......

それでもにノーラン監督は頑なにサイエンス・フィクションの体を貫きます。

 


いっそ監督にはド直球のファンタジー映画を撮ってほしいですね。
クリストファー・ノーランがファンタジーを撮れば絶対面白いものが出来上がると思うのです。
リアル・ファンタジーみたいな新ジャンルが誕生するかもしれない。

 


本編でのテスラの登場には、今の世界では絶対にありえない事象をテーマに映画を撮りたいのに絶対にリアリティを失いたくないという監督のジレンマをしみじみ感じました。

ノーラン監督って本当に面白い作家ですね。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『構成』+『SF』)=『プレステージ

 


プレステージから考えるノーランのオブセッションは、

構成
SF

になりました。

プレステージは最後のオチから話ができていったんだろうなという作品でした。

最後のオチ×確認展開偉業の繰り返しで組み立てられたパズルのような作品です。

映画の構成に萌えを感じるような人にぜひ見てもらいたいですね。

 


次はインセプションについて書いていきます。
ノーラン企画第7回目、取り上げる作品として最後の作品になります。

それではまたお会いしましょう。カミオモトでした。

『メメント』あらすじと感想。誰も信じてはならぬ【ネタバレあり】ノーラン企画⑤

クリストファー・ノーラン第2回監督作品『メメント』見ました~。

まー難しかったです。

だがしかし冒頭の時間が巻き戻しされるシーンでは鳥肌が立ちましたね。

監督、20年も前から時間を巻き戻しする話が作りたかったんや..............と。

 


メメントでは作中人物は通常方向の時間で生きています。

しかし映画の脚本が結末から始まり、ストーリーが結末から中盤に向かってちょっとずつ巻き戻って再生されるという手法になっています。

 


テネットではそもそも作中に時間巻き戻し装置が登場し、登場人物たちが巻き戻し中の世界を爆走するというマジで頭が混乱するストーリーが映像化されています。

 


何を言っているのか分からないと思うのですが、きっと作品を見ても分からないのでホントにクリストファー・ノーラン監督は一体なんでそこまでして時間を巻き戻したいのか教えてほしいです。

なんで、なんでそこまでして時間を巻き戻ししたいんですか..........

 


あらすじ
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=vTnEPAl7GPk

 


主人公レナードは妻を暴行殺人した男に殴られ、10分しか記憶が保たない記憶障害になってしまう。

全身に入れ墨をしスナップ写真にメモを取ることで少しずつ情報を集め、妻を殺した犯人を捕まえようとする。

 


彼の前にはテディ、ナタリー、ジミーという男女が現われる。

誰がレナードを利用し彼を騙しているのか全く分からない状態のなか、自分が残したメモだけを頼りにレナードは犯人を追い詰めていく。

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』についてはこちら。

第三回『インターステラー』についてはこちら。

第四回『フォロウィング』についてはこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』の考察

第二回『ダンケルク』の考察

第三回『インターステラー』の考察

第四回『フォロウィング』の考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

インターステラーでは

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

フォロウィングでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表
名前のない登場人物

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてメメントの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
フォロウィング

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

 


メメントから見えてくる監督のオブセッション

 


権力者に支配される女

 


ナタリーはレナードと同じく恋人を殺された女性として登場し、レナードの犯人捜しに協力してくれています。

しかし彼女はマフィアのボスジミーの恋人で、顔には殴られた痕がありました。

この『マフィアの恋人』というキャラクターはテネット、フォロウィングでも登場しており、監督が繰り返し描いているものの一つです。

 


美しい女性が権力者に支配されること
権力者が美しい女性を支配すること

監督はそのどちらにも比重を置いて描いているような気がします。

テネットとフォロウィングで共通していたのは、『女性は権力者の元から逃れようとして主人公はそれの手助けする』構図ですね。

メメントではまた少し変わってきますが。

 


時間

 


『映画の終盤でやっと何をやっているのかが何となく分かる映画』こと、メメント

『映画の終盤まで謎が解き明かされない&集中して見ないと訳が分からなくなるゆえに視聴にけっこうなストレスがかかる映画』こと、メメント

 


ネタを割ってしまうと、レナードの犯人捜しはとっくの昔に終わっており、『メメント』はレナードが復讐を果たした後の物語なのです。

 


映画の冒頭でレナードはテディを殺します。

その場面から少しずつ時間が遡っていって、なぜレナードはテディを殺したのか?レナードの妻を殺した犯人は誰なのか?という謎ときストーリーになります。

 


テディは警官でレナードの私刑に協力した男でした。

レナードが復讐を果たしたことさえも忘れてしまうことを利用し、彼にマフィアのボスを殺させてドラッグの売り上げをかすめとろうとします。

その最中にテディとレナードはモメて、テディが『復讐は終わっている』という事実を腹いせまがいにレナードに明かすというのが映画のクライマックスになります。

 


事実を知ったレナードは、「復讐を終えない」ことを選択し、次に自分が追い詰める犯人がテディになるようメモを残す...という終わり方をします。

 


終盤のどんでん返しはさすがノーラン監督です。モノクロがカラーに代わる瞬間は鳥肌もの。

だけどしかし序盤中盤の焦らし方はものすごいです。

 

 

ノーラン監督はただ大衆受けする、売れるだけの映画はホントに作ってないし作る気ないんだろうなぁと安心しました。10年前にこの映画を作り、そして最新作がテネットですからね。

ここまで観客の置いてけぼりをいとわない代わりにすごいクオリティの映画を作る監督他にいるだろうか。私は知らない...。ノーラン監督はやっぱりすごい。

 


この作品でも、ノーラン監督が使ったツールは『時間』でした。

全作品に通じるキー概念ですね。

 


人間の裏と表

 


マトリックスのトリニティことナタリーのやり方がひどいです。

10分で記憶を失うレナードに対し、あらかじめ部屋中のペンを隠しておいた上罵詈雑言を浴びせる。

『ナタリーは敵だ』というメモをの残すため必死にペンを探すレナードをあざ笑い、記憶をなくしたレナードを笑顔で利用する。

本当に嫌なやり方でした。

 


メメント』という作品に通じて存在する謎は

一体だれが犯人なのか
いったい誰がレナードの敵で、誰がレナードの味方なのか

の二つになっています。

テディ、ナタリーは二人とも味方のような顔でレナードに接します。

しかし二人ともがレナードを利用しており、いわば敵です。

この作品の登場人物にレナードの味方はいないんですね。

レナードの妻も、レナード自身も、彼を裏切る存在です。

 


いったい誰が主人公の敵で、誰が味方なのか

という問いに対する

全員敵

という回答の鮮やかさにしびれました。

レナードの主観上では味方のキャラクターたちが本当はことごとく彼を裏切っているのです。

コインの裏表のように、見方によって彼らの姿は変わっていきます。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『マフィアの恋人』+『時間』+『人間の裏表』)=『メメント

 


メメント』から分かる監督のオブセッション

マフィアの恋人
時間
人間の裏表

でした。

前作『フォロウィング』の

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表
名前のない登場人物

と非常に似てますね。

というよりほぼ一緒です。

 


あと2作でノーラン監督企画も終わりですが、ほぼほぼ固まってきましたね。

筆者はだんだんとノーラン監督お腹いっぱいになってきました。

 


教えてノーラン先生という企画にいくつか質問を挙げたので、答えてもらえるかドキドキです。

 


次は第5作目の監督作品『プレステージ』について書いていきます。

ではまたお会いしましょう。カミオモトでした。

『フォロウィング』あらすじと感想。ノーラン監督の原点ここにあり【ネタバレあり】ノーラン企画④

クリストファー・ノーラン初代監督作品、『フォロウィング』見ました。

色濃く監督のこだわりが出ていました。

 


筆者が何より気になったのは、主人公の住むアパートのドアにバットマンのマークがあること....

そして主人公に「コインの裏表さ」という発言があったこと.....

 


ノーラン監督にバットマンのお話が来たのって、あのドアのマークが関係してたりするのでしょう。

監督がトゥーフェイスダークナイトの題材に選んだのは、『フォロウィング』のセリフが関係していたりするのでしょう。

胸熱です。

 


そして作中の時間が行ったり来たりするのも相変わらずでした。

ただいまノーラン監督作品を連続で記事にしていまして、今回で4本目になります。

もはや監督が時間をごちゃごちゃさせることに驚きはありません。

むしろダークナイトでよく時系列をごちゃごちゃにするのを我慢したな....と感心してしまう位です。

(覚えてないだけでダークナイトでも時系列トリックあったのでは?と心配になる)

 


あらすじ

 


(出典:https://www.youtube.com/watch?v=WaaihGzsMXI

 


尾行が趣味の主人公ビル。無職、作家志望の彼はいつものように男をつけていた。

しかし男はビルの尾行に気づいており、その男はビルを『自分の趣味』に誘ってきた。

男の趣味は空き巣だった。他人の家に入り、CDや写真、持ち主の人格に深く関わるものだけを盗む。

盗んだものから家主という人間をあれこれ想像するのが楽しいのだと。

 


ビルとその男、コッブはそれから一緒に空き巣に入るようになった。

ビルはある金髪の女性を尾行し、その女性を空き巣のターゲットにしようと提案するが...

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』についてはこちら。

第三回『インターステラー』についてはこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』の考察

第二回『ダンケルク』の考察

第三回『インターステラー』の考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

インターステラーでは

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてフォロウィングの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
フォロウィング

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

フォロウィングから見えてくる監督のオブセッション

 


権力者に支配される女

 


(出典:https://www.youtube.com/watch?v=WaaihGzsMXI

 


ビルはどうやら尾行していた金髪の女性を好きになったようで、コッブとともに空き巣に入ったあと、素知らぬ顔で女性と知り合いになります。

女性はマフィアのボスの愛人で、今はもうほとんど会わないのに別れさせてもらえない。昔撮った写真を脅しの道具に使われている...と打ち明けられたビルはまんまとマフィアの金庫破りに出かけ、それが彼の悲劇に繋がってゆきます。

 


……めっちゃ見たことある構図です。そう、テネットのデビッキ様とセイターですね。

デビッキ様も武器商人のボスセイターと別れたいけれど、ある弱味を握られていて別れることができない、という設定でした。

 


デビッキ様はセイターを殺るしかねぇとなるのですが、フォロウィングでは......

 


強権(というよりマフィアや武器商人といったヤのつく職業のボス)的な夫に束縛される妻、というのは確実にノーラン監督のオブセッションですね。

これは全くの想像であり確かめる術のないことですが、監督のお父さんはそういう束縛する人だったのだろうか、と思ってしまいます。

これはなかなか世のインタビュアーは監督に質問できないでしょうね。失礼すぎる。

 


うすうす気づいていてそれでもええんやと強行していますが、このオブセッションを探る企画、勝手に問いを立てて憶測で答えて終わるしかないというトンデモ企画ですね。

最後にノーラン監督に聞きたい10の質問とか作ろうかな。それを日本の映画配給会社やテレビに送ってみるとかどうでしょう。

よさげでは。

ちなみにノーラン監督企画が終わったら次は宮崎駿監督でシリーズを書きたいと思っています。楽しみだ。

 


時間

 


クリストファー・ノーランの十八番。ノーランといえば『時間』です。

今作ではダンケルク方式が取られていました。

ダンケルク方式

 


ダンケルクほどややこしくはないですが、時間を行ったり来たりして観客にストーリーの全体像を理解させていくスタイルですね。

油断したら話が分からなくなるやつ。

『ついてこれないヤツはどんどん置いてく』ノーランスタイルの究極系がテネットでしたね...(遠い目)

 


筆者はわりと「で、これは一体なんの話なの??」と早々に物語の目的を教えてほしい現代のエンタメ作品に飼い慣らされた人間なので、このスタイルはやや苦手です。

一時間ちょっと緊張感を持続させるのが難しい...。映画館で見ればまた別なのでしょうが。

 


やはり初監督作品ということもあり、エンタメ性よりはこだわり重視、全体的に監督のトガりを感じました。

フォロウィング』(1998)から20年以上の時が経っても『時間』というトゲを失わず、最新作では観客を置いてけぼりにしたノーラン監督。やっぱすごいぜ。

 


少し話はそれますが、とことん観客を置いていくときの監督の心理はいったいどんなものなんでしょうね。

あの『置いていかれ感』にハマる人間がいることを狙っているのか、単に監督が遠慮なく物語を書いてさらに遠慮せず映画にしたらああなるのか....両方ですかね。

これ本当に監督に聞きたいな~。 What do you think about that we can not understand details in your movie TENET for the first time?

 


人間の裏と表

 


なんでビルは尾行を、コッブは空き巣をするねん?という会話が出たとき、コッブは「コインの裏と表さ」と答えます。

彼ら二人とも裏も表もどうしようもない風味なのでダークナイトのハーヴェイとはまた違いますが、人間には裏と表があるという思想をずっと監督は持ち続けていることが分かります。

 


インターステラー』のマン博士も、『ダンケルク』のアレックスもそうでした。

『テネット』にはそういうキャラクターが出てこなかったですね。

 


制作順でいうと

フォロウィング』→(中略)→『ダークナイト』→(中略)→『インターステラー』→『ダンケルク』→『テネット』なので、『人間の裏と表』という命題については『ダンケルク』である程度監督の中で整理がついたのではないかなと思います。

ダンケルク考察の命の選別という章でそれとなく上記のことに触れています。よかったら読んでみてください~。

 


名前のない登場人物

 


監督が最新作テネットで主人公の名前を出さなかったことは、テネットの一作前である『ダンケルク』からの系譜だと思っていました(参照:名前の出てこない主人公)が違いましたね...!!

まさかの初監督作品から登場人物に名前をつけていなかったとは...。監督のこだわりゆるぎなし...。

 


しかし、これはどういう意図なんでしょう。

まず一つに、物語の進行上名前が必要のない人物には名前をつけないというのがきっとありますね。

フォロウィングの金髪の女性については、主人公のビル自身が『彼女の名前を知らないままに彼女を尾行していた』ということから、あえて彼女の名前を出す必要がないとしたのでしょう。

 


次にダンケルクでは、主人公は一兵士であることを強調するために、あえて名前を全面に押し出さなかったのでしょう。

ルフィやナルトのように特別な人間が主人公であるのではなく、ただ一兵士がダンケルクを生き抜いた過程を意図して撮ったのだと思います。

 


最後にテネットですが....

筆者、テネット一回しか見ておらずあまりよく分かりません...。

映画で「僕が主人公だ」的な台詞を主人公が言っていたのを覚えているので、そこから分析できそうだと思ってはいるのですが。

ここについてはテネットを再視聴したときに書き足したいと思います。

 


テネットの主人公については普通に名前があっても全然よさそうだと思うのですが、なんで名前がないのでしょうね。

あんな有能な人間をただ一般人扱いするのは無理があるし...

意外とワルなところもあったり、個性的なのに...別に名前あってもよかったのでは...

気になります。

 


ひとまず『フォロウィング』『ダンケルク』『テネット』から、ノーラン監督は登場人物の『名前』を既存の要素とは思っていないというのが分かります。

そして、映画に名前が出てこないだけであって本当に名前のないキャラクターがいるわけではないので、監督は演出上、あえてキャラクター名前を出さないことがよくあるんですね。

 


こういうところに監督が自分が作ったキャラクターの名前を出してやりたいというタイプの創作者ではなくて、『映画』全体の演出や構成を追求するタイプの創作者だというのが強く出ていると思います。 根っからの映画監督。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『支配される女』+『時間』+『人間の裏表』)=『フォロウィング

 


フォロウィング』から分かる監督のオブセッション

権力者に支配される女
時間
人間の裏表
名前のない登場人物

でした。

監督最新作『テネット』に被るところが多々ありましたね。

 


次回は第2回監督作品『メメント』について書いていきます。

メメントプレステージ、そしてインセプションで最後です。

テネット、ダンケルクインターステラーフォロウィングと、ついにクリストファー・ノーラン監督をテネットする企画も折り返しにやってきました。

 


インセプションの考察のあとには、『ノーラン監督に聞きたい10の質問』を作ってみようと思います。

そしてそれを映画関係の方や会社に送ったりして、どうにか監督の答えを知りたい......

 


礼儀を守った上で、ノーラン監督が「まさかここを聞かれるとは」と驚くような芯を食った質問を作れたらいいですね。

楽しみです。

 


それではまた次回お会いしましょう。カミオモトでした。

『インターステラー』あらすじと感想。終わりゆく世界の叫び声【ネタバレあり】ノーラン企画③

クリストファー・ノーラン9作目の監督作品、『インターステラー』見ました~。

 


筆者は『インターステラー』でノーラン監督に撃ち抜かれた人間です。

ダークナイトで監督を知り「いい映画を見たな」とドキドキしたんですけれども、インセプションはちょっとよく分からず。その後2,3回見てもやはりちょっと分からず...

 


しかしかれこれ6年程前に映画館に本作を見に行ったときはクライマックスで号泣しました。

ラストの急展開に圧倒されながらも、ノーラン監督はすごいぞと興奮して帰路についたのを覚えています。

今回久しぶりにしっかりと見直してみて、監督の真骨頂はやはり「時間」なんだなと思い知りましたね。

 


映画の外にある何十年という時間を物語に組み込む手腕に脱帽です。

観客の想像力によって完成する作品を撮っているんだなと、そんなやり方ができるのかと頭を抱えて唸りたいような気持ちになりました。

ノーラン監督をライバルとして生きる人間には絶対なりたくないですね。強大すぎる。

 


あらすじ

 


気候変動や疫病に襲われ、地球は未曾有の食糧危機に瀕していた。

砂嵐に覆われた世界で、かつてNASAパイロットだったクーパーは農夫をしている。

食料の確保さえままならない時代に宇宙飛行士は誰にも必要とされていなかった。

 


クーパーの妻は悪性の脳腫瘍で亡くなり、父親ドナルド、娘のマーフ、息子のトムと4人で暮らしていた。

マーフの部屋には本棚から本を落としたり、機械を壊したりする「幽霊」がいる。

マーフは幽霊を怖がるような少女ではなかった。

クーパーはマーフに伝える。「事実を記録して、分析するんだ。そして結論を導く」

 


幽霊はクーパーとマーフにある座標を示し、二人はNASAの本部へたどり着く。

NASAは地球に未来はないと判断し、他の惑星への移住計画を立てていた。

クーパーはラザロ計画のパイロットとして宇宙に行くことを決め、マーフは必死に父親を引き留めるが....

 


(出典:https://www.youtube.com/watch?v=qZZ9jRan9eo

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』について書いた記事はこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』の考察

第二回『ダンケルク』の考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてインターステラーの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

 


インターステラーから見えてくる監督のオブセッション

 


時間と親子

 


クーパーは人類が生存できる環境の惑星を探しに宇宙へ旅立ちます。

しかし、重力の影響で、ある惑星で過ごす1時間が地球では40年に相当するという恐ろしい事実が存在していました。

ラザロ計画の宇宙飛行士たちは、一番最初に水の惑星へ降り立ちます。

 


水の惑星は人類が生存できる環境ではなく、数十分間の探索を終えた彼らは宇宙空間へと戻ります。

戻って来たクーパーを迎えたのは、自分と同い年になった娘マーフでした。

 


マーフはもうとっくに父は死んだものとして彼にビデオメッセージを届けているのですが、探索から戻って来たクーパーはちゃんとメッセージを受け取るんですね。

マーフは二十数年の時を生きてきたのに、クーパーはたった数十分の時間しか過ごしていないのです。

 


『登場人物が抱える時間の量に隔たりを作る』という手法はテネットでも使われていました。

主人公は映画上の時間において初めてニールに出会いますが、一方のニールは、未来の主人公との濃密な時間を抱えて、未来から過去にやって来たのです。

 


ノーラン監督は登場人物が、特に親子がそれぞれに抱える時間の量に隔たりを作る上で、特に子ども側に長い時間を抱えさせる傾向がありますね。

 


テネットの主人公とニールも疑似親子的な関係だと見なすと、クーパーとマーフの関係に非常に似ているところがあります。

(テネットでは非常に親子っぽいけど最終的には上司と部下のような同僚のような、対等な人間同士という線があるので、あのラストにできたんだと思います。非常に親子っぽいけど、親子の関係ではないのがテネットのコンビですね。)

 


インターステラーで言うと、マーフたちのために命がけで旅立ったクーパーもすごいけど、何十年もの間連絡のとれない父の生存を信じて、人類が生き残る手がかりをつかんだマーフの行動のほうが想像を超えるような奇跡だという気がします。ニールの行動も同じく。

 


監督の作品において、主人公はクーパーであり名もなき男である父親側の人間で、カメラが追うのもまた主人公である父親なのですが、監督がどうしても描かざるを得ないのは、子どもの立場にいる人間の行動であり決意なのだろうと感じます。

映画では描かれない彼らの時間がノーラン監督作品の肝であり、映画に深さと重みを与えているからです。

 


子どもの立場にいる登場人物の決意の重さは映画の外に存在を示されるだけ、というパターンも監督の作家性として強く出ていますね。

 


命の選別

 


この作品で『命の選別』を行った印象的な登場人物は、マン博士、ジョン・ブランド教授、クーパーの3人でした。

 


マン博士もブランド教授も宇宙探索という名目のもと、人類のために働くという志で生きてきた人間なのだと思います。

クーパーだけは、すでにNASAを退職しており、物語では一貫として「子どもたちのために」動くことを明確にしていました。

 


人類のために生きてきたはずのマン博士とブランド教授は、結局は自分と娘のために生きることを選択しました。

他の人を殺してでも、他の人を騙してでも、自分の命のため、自分の娘のために生きることを選んだのです。

 


一方で最初から「自分の子どもたちのために」宇宙へ行くことを明確にしていたクーパーだけが、自分を犠牲にし、なおかつ他者を生かす選択をしました。

 


マン博士は自分のために、他者を犠牲にして行動しましたが、ブランド教授は娘のために、他者と自分を犠牲にし、クーパーは娘のために、他者を生かし自分を犠牲にしましたね。

インターステラーという物語において、この3人の選択が物語を動かす動力になっていたと思います。

しっかりと違いを整理した上で、監督はこの3人を動かしていたんじゃないかなという印象です。

 


死を選択すること

 


インターステラーではクーパーが、ダンケルクではファリアと英国将校が、テネットではニールが、それぞれ誰かのために自分の命を犠牲にしています。

 


自己犠牲を賛美するような作風では決してないですが、ノーラン監督のなかで、『死を選ぶことは生き方を選ぶことである』という哲学が存在しているのを感じます。

ここはこれから『ノーラン監督をテネットする』企画、後半戦で確かめていきたいです。

 


世界を救う

 


最後に、ノーラン監督はわりと世界を救いがちな人だなと思いました。

ハリウッドの大作映画はそんな感じじゃない?ともなりますが、ハリウッドの大家スティーブン・スピルバーグだと「恐竜から逃げのびる」や「宇宙人を宇宙に帰す」や「サメの捕獲」などで、案外世界は救っていません。

インターステラーやテネットでは、主人公たちの行動が最終的に世界を救います。

 


「時間」の前提を崩していくようなストーリーを作ると、どうしても世界全体が関係してくるという理由があるのだと思います。が、やはりここはシンプルに監督は「世界」や「時間」というスケールの大きい話が好きなんだ説を推したいです。

ハードSFセカイ系ハリウッド映画監督。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『時間』+『親子』+『死の選択』+『世界を救う』)=『インターステラー

 


インターステラー』から見えてきた監督のオブセッション

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

でした。

特に『死を選択する』というのが、『命の選別』という命題に対しての監督の答えであるような気がしますね。

 


次回、クリストファー・ノーラン監督をテネットする企画第4弾は『フォロウィング』です。

まったくの未見&どんな話なのかも知らないので楽しみです。

 


感想:終わりゆく世界の叫び声

 


(出典:https://www.youtube.com/watch?v=qZZ9jRan9eo

 


映画序盤の「もうすぐ終わる世界」の描き方がとてもよかったです。

 


インターステラー裏概念として砂の惑星、水の惑星、氷の惑星というのがあるらしいのですが、滅びつつある地球を砂嵐に覆われる惑星として映像化しているのが見事でした。

トウモロコシ畑が本当によかった。

ハンス・ジマーの、太い金属の糸が引き伸ばされてちぎれそうになっているみたいな音楽もよかったです。

作中序盤の音楽のテーマはきっと「叫び声」だと思います。

 


トウモロコシ畑に砂埃を被った木造の家。

薄茶色の世界を眺めながらビールを飲む父親とその父。母親のいない家。

毎年流行る疫病のせいでジャガイモやエンドウが順番に育たなくなっていく。

世界が徐々に終わりつつあるのは明らかなのに、子どもを育てる父親はけっして言葉では未来を悲観しないのです。

「なんとかするさ」と言って、子どももまた父の言葉を信じています。

 


父親は約束を果たし、娘は父を信じ抜くことで、二人は本当に世界を救います。

この話はたくさんの、約束を果たせなかった親子を癒すのではないかなと思います。

 


この作品では、ノーラン監督の親としての姿ももちろんですが、監督自身の子としての姿がより色濃く表れているように感じました。

 


ラスト、『とっくにクーパーの年齢を追い越しておばあさんになったマーフがアメリアの元にクーパーを旅立たせる』展開がすごく好きでした。

『マーフがクーパーと再会を果たして、二人がまた一緒に暮らして終わり』でもなく、『バットマンが汚名を晴らして終わり』でもない、事実を冷徹に見つめ、選択を止めない登場人物たちこそがノーラン映画の真髄なのだと思います。

ではまた次回お会いしましょう。カミオモトでした。