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『インセプション』あらすじと感想。ほとんどハウルの動く城【ネタバレあり】ノーラン企画⑦

クリストファー・ノーラン監督第7作目、『インセプション』見ました。

記事のサブタイトルを『しっかりしたハウル(の動く城)』としている通り、クリストファー・ノーランのようなあくまで理性で物語を組み立てていくタイプの作家がハウルを作ろうとしたらこうなるんじゃないか?という作品でした。

『無意識やインスピレーション、夢』のような理由がないもの、根源的が分からないものについて、キチッと何から何まで完璧に構成するで!一応科学的根拠も手放さんで!な監督が挑んだんですね。

 


宮崎駿監督はノーラン監督とはきっと作品の作り方が違っていて、スティーブン・キング型なのだと思います。
スティーブン・キングは著書『書くことについて』で書くことを「創造的な睡眠」だと表現していました。
まるで白昼夢を見るようにどこからかやってくる物語を書き記す人を直感型の創作者と呼ぶのなら宮崎駿監督とスティーブン・キングはこのタイプなのだと思います。

一方で、ノーラン監督は直感型ではなくパズル型の創作者だという気がします。
構成ありきでそこにエピソードを当てはめていく人。

さらにノーラン監督は新しいマジックを作るみたいに、発想が新しいパズルを創り続けているところが面白いです。
新作ごとに絶対に時間という概念のずらし方を変えてきたりとか。
インセプションの構成は下へ下へ潜っていくパズルのようです。

インセプションの構成はこういう立体のイメージ+あの階段

ハウルインセプション、見た印象は全然違いますが本質的にはめっちゃ似ていると思います。
直観型の作家とパズル型の作家が「無意識」に関わる話を作っていったらそれぞれの作品ができるのではないでしょうか。
宮崎駿監督は無意識をフル解放することによって、ノーラン監督は無意識についてのアイデアを膨らませて、ハウルインセプションを作ったのでしょう。

2作とも『千と千尋』『ダークナイト』のあと、という監督史上最大のヒットの次作ということで共通しています。大ヒットを飛ばしたあとは無意識について掘りたくなるのかもしれません。

 


ちなみに直感型かパズル型かでいうと、スティーブン・スピルバーグはパズル型、ジョージ・ルーカスは直感型だと思います。
ピクサーなどは完全にパズル型のやり方で作品を作っていますね。

あらすじ

 


レオナルド・ディカプリオ演じるコブは妻殺しの犯人として国を追われていた。
大富豪サイトーはコブの罪歴を帳消しにする代わりに、ある仕事の依頼を持ちかけてくる。

ライバル企業の一人息子ロバートに、彼の会社を破滅へ向かわせる『思想のインセプション(植え付け)』を行う依頼だった。

 


コブと仲間たちはロバートの夢の中へ入っていくが、そこには死んだはずのコブの妻が存在しており...

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=ZfDm3s_IcqM
クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

以下の順番で見ていくことで

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。

第二回『ダンケルク』についてはこちら。

第三回『インターステラー』についてはこちら。

第四回『フォロウィング』についてはこちら。

第五回『メメント』についてはこちら。

第六回『プレステージ』についてはこちら。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は

第一回『TENET テネット』考察

第二回『ダンケルク』考察

第三回『インターステラー』考察

第四回『フォロウィング』考察

第五回『メメント』考察

第六回『プレステージ』考察

が終わっている状況です。

 


テネットでは

時間
夫婦
SF

ダンケルクでは

時間
命の選別
明かされない真実

インターステラーでは

時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う

フォロウィングでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表
名前のない登場人物

メメントでは

権力者に支配される女
時間
人間の裏と表

プレステージでは

構成の追求
SF

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてインセプションの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
フォロウィング
プレステージ

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

インセプションから見えてくる監督のオブセッション

 


夫婦

 


インセプションは夫婦の話でした。

キャラクターの中で人物像が掘り下げられたのは主人公コブと御曹司ロバートの二人くらいで、ロバートの掘り下げも割と表面的なところで終わっており、メインはコブと妻モルに起きた悲劇。
コブが妻を殺してしまった呵責にどう向き合うかの話でしたね。

ノーラン監督作にはよく『夫婦』がキーパーソンとして登場します。
フォロウィングでは、お互いに裏をかき騙そうとする二人。
メメントでは、盲目に失った妻を追い続ける夫。
プレステージでは妻を騙し続ける夫。自ら死を選ぶ妻。
テネットでは、妻を支配しようとする夫、夫を殺そうとする妻。

そして本作インセプションではレオナルド・ディカプリオが愛し合うが故に妻を殺してしまった夫を演じます。

ノーラン作品で円満そうな夫婦がいるのはインターステラーくらい。
そのインターステラーでさえ、作品上妻は病死してしまっています。

クリストファー・ノーランは円満な夫婦をおそらくどうしても描けないのでしょう。
監督のオブセッションは『不仲な夫婦』というよりも『円満な夫婦を描かない』というところにあるのかもしれません。

やっぱり『夫婦関係』や『親子関係』というのは創作の原点になりやすいのでしょうね。
そこに生じたトラウマが人を創作に向かわせる...…最近萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』を読みまして改めてそんな風に思います。

時間

 


淀川長治先生が徹子の部屋に出演したとき、不思議な夢についてお話をされていました。

夢の中で先生は雪の降る丘を登っていらっしゃっていたそうです。
丘の一番上には大きな松の枝があり、そこにもたくさん雪が積もっていました。
松の枝の下をくぐろうとしたら、積もっていた雪がバサーッと落ちてきて、そこで目が覚めた。

起きたら足元に積んであった本がバサーッと身体の上に落ちてきていたらしいです。

現実の世界で本が落ちてきたバサーッという瞬間は一秒にも満たない時間なのに、夢の中では丘を歩いて歩いて頂点まで来てそれからのバサーッということで、なぜそんな短い時間の中で長い夢が見れたんだろう、不思議だなというお話でした。

 


まんまインセプションですね。

潜在意識の高速化によって夢の中の一分は現実世界では一秒にも満たないという理論がインセプションという映画の根幹にありました。

淀川先生にインセプション見てほしかったですね。
絶対に雪の降る丘の夢の話をしてくださったと思います。聞きたかったー。

長治先生は夢の話に加えて、自分たちは長い長い人生を生きていると感じているけれど、霊界では私たちのタイムというものは一瞬なのかもしれない、とおっしゃられていました。

クリストファー・ノーランという絶対にサイエンス・フィクションを手放さない監督にいつか時間と霊界にまつわる話なんて撮ってみてほしいですね。ちょっと無理かな~。

 


日本とハリウッドの映画界を代表する方が二人とも同じ着眼点を持っていて、それについて世間に話をしているというのはとても面白いと感じました。
こういう出来事を不思議だと感じるきっかけになる映画があったりするのかもしれないですね。

天地創造

 


夢の中では自分が神様、あらゆるものを思い通りに作ることができる。
そこが本作インセプションの映画的な面白さであり、登場人物にまつわる悲劇の原点でもありました。

天地創造とは映画制作に通じる部分もあると思うので、超ヒット作であるダークナイトを世に出した後、監督は自身の『映画を作る』意識のメカニズムのようなものをこの作品で意識して整理してみたんじゃないかなという気もします。

物語を作るというのは自分の意識を何段階も深めていく作業である。
深層心理にある問いを描いていく中で、創作者はストーリーの結末を作っていく。
そこに描いた答えこそが、作者自身の意識さえ変えていく。

物語を作るというのは自分自身にインセプション(植え付け)を行うことだと言えるかもしれません。

作中ロバートは父との不仲という問題を抱えていましたが、コブたちに父との和解というストーリーの植え付けを行われることである種の癒しを見つけていました。物語を作ることで自分自身のトラウマを昇華していく過程と似せているのはほぼほぼ確定じゃないでしょうか。筆者は今ノーラン監督の『発想を映画にする技術』みたいなものに圧倒されて天を仰いでいます。

箱庭療法を自分自身にインセプション(植え付け)を行うことだ、という形で説明することもできるかもしれない。
このことについて河合隼雄先生とお話してみたいですね..................。うわーん。

ダンケルクの考察の『命の選別』という章にも書いたのですが、作品を追っていくと、監督のなかにも繰り返し描かざるを得ない問いがあること、作品ごとにその問いへの対応が変わっていくことが分かります。
監督も映画を作ることで自分自身がちょっとずつインセプションされていってるなーと感じ、それが映画の元になったのかもしれません。

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=ZfDm3s_IcqM
まとめ:『ノーラン監督』×(『夫婦』+『時間』+『天地創造』)=『インセプション

 


ダンケルクから見えてきたノーラン監督のオブセッション

夫婦
時間
天地創造

でした。

いよいよ『クリストファー・ノーラン監督をテネットする企画』、全作品を紹介し終えました!

最後にまとめの記事を書いてクリストファー・ノーラン特集は終了となります。

ではまた次回お会いしましょう。カミオモトでした。