クリストファー・ノーランは何を映画で描くのか。【フォロウィングからテネットまで】まとめ
エイガジェルではこれまで『クリストファー・ノーランをテネットする』という題で、ノーラン監督のオブセッションを探る企画を進めてきました。
[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。
(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]
企画は7作品を以下の順番で見ていくことで
↓④フォロウィング(1998)
↓⑤メメント(2000)
↓⑥プレステージ(2006)
⑦インセプション(2010)
↑③インターステラー(2014)
↑②ダンケルク(2017)
↑①TENET テネット(2020)
「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。
前回いよいよインセプションについての考察が終わり、ノーラン企画もいよいよ終盤を迎えています。
本記事では
クリストファー・ノーラン監督のオブセッション
ノーラン映画の内容的変遷
ノーラン映画の魅力
以上3点をまとめ、本企画を終えたいと思います。
どうぞ最後までおつき合いくださいませ。
フォロイングからテネットまで7作品を通じて見えてきた監督のオブセッションは
時間
SF
夫婦
でした。
『時間』に至っては全7作品を通じてあの手この手で観客を翻弄する手段となっています。文句なしのこだわりです。
『SF』についてはプレステージ、インターステラー、テネットなど、もうほとんどファンタジー扱いでいいのでは?というような現象にも、絶対に科学の力であることを譲らない監督の意地を感じ選出しました。テネットのエントロピーについてはもはや事件のような気がします。テネットエントロピー事件。
『夫婦』についても、インターステラーとダンケルクを除く5作品において重要な役割を担っています。
初期から現在にかけて映画に登場する『夫婦』の末路も変わっていきます。
その内容の変化はそのままノーラン映画の変遷といってもいいくらいで、次章で考察していきます。
ノーラン監督の作品は『ダークナイト』で転機を迎え、そこから大きく内容も変わっていっているのですが、
時間
SF
夫婦
というのはダークナイト以前も以降もノーラン作品全体を通じて存在している主題でした。
ダークナイト以降、特にインターステラー以降からの作品で監督が繰り返し描いていたのは
命の選別
親子
でした。
命の選別という命題はインターステラー、ダンケルク、テネットの3作品である程度の解決を見たので、また次作、監督は新しい問いとともに映画を作っていくのだろうと予想します。
ノーラン映画の変遷
クリストファー・ノーラン監督の作品を初期・転換期・中期・現在で分けてみた表がこちらになります。
初期3作で描かれていたのは夫婦にまつわる破滅の話でした。
それからダークナイトの大ヒットによって、監督の作る映画の内容が変わっていきます。
初期3作が割と最悪を極めるバッドエンドだったのが、わりと分かりやすくダークナイト以降の作品はビターエンドに変化します。ダークナイトを筆頭にほろにがエンドが続きます。監督の志向が変わったというよりスポンサーの問題かもしれませんが。
また興行的にはダークナイトが転換期ですが、映画の内容的にはインセプションが特に大きな転換期になっていると感じました。
インセプションはまさに監督自身が映画を作る過程を映画化したものであり、インセプションを受けることによって癒されていくロバートは、映画を作ることによって癒されていく監督自身をものすごーく遠回しに描いているのだと思います。
(参考:『インセプション』あらすじと感想。しっかりしたハウル【ネタバレあり】ノーラン企画⑦)
ノーラン監督の自分を癒すための物語作りはインセプションを機に終わったのではないかなと思います。
インターステラー以降の作品はそれまでより大きく視野が広がり、
世界を救うこと
命の選別
自ら死を選ぶこと
など新しい問いの上で物語が展開していきます。
そして最新作テネットは前2作のテーマを踏襲しつつ、構造の完成度・物語の濃度が格段に上がった仕上がりになっていました。
次はきっと新たなテーマをもった作品が誕生するタイミングだと思うので、監督の最新作が非常に待ち遠しいです。
では最後に、ノーラン7作品を連続して見て感じたノーラン映画の魅力について書いていきます~。
ノーラン映画の魅力
ノーラン映画の魅力、ずばりこの3点を挙げたいと思います。
作品全体に通じる監督の理性
構成の美しさ
監督の時間に対するこだわり(のヤバさ)
作品全体に通じる監督の理性
テネットのニール、インターステラーのマーフとクーパーなど、ノーラン作品に出てくる人物は魅力的です。
3時間という短い(映画にしては長い)時間の中で描かれる彼らの人物像はとてもオリジナリティに溢れています。
彼らの特徴はものすごく頭がいいこと......に加えて、基本姿勢がものすごく科学的であることです。
どれだけ混乱の最中にあっても彼らは事実を冷徹に見つめ、選択を止めません。
かといって愛情のない冷たい人物が登場するのではなく、彼らはいつも愛に動かされています。
愛情と理性を併せ持つ人物たちがどのような選択をするのかを見たくてノーラン監督の映画を見ているといっても過言ではないかもしれません。
登場人物が好き=監督が好き、のようなものなので、やはり監督の性格・性質そのものが映画の魅力ですね。
映画の根底に流れるノーラン監督の生き方や考え方が好きなのです。
構成の美しさ
メメント、テネットを見た大抵の人が思うこと、何だこれは。
そしてあまりにも分からないため解説記事を読み映画の構成が理解できたとき、人はノーラン映画にハマるのでしょう...。
ノーラン映画の3大構成ヤバ作品には
を推します。
どうやばいのかについてはグーグルの海にたくさんある解説記事にお任せいたします。
フォロウィング、メメントについては最初はやっぱりトガった作品を作るよね、というノーラン監督若気の至り説があったかと思うのですが(ないかな?)、まさかの最新作にて原点回帰。
見るもの全て置いていく監督最新作テネットには度肝を抜かれました。
しかしそのテネットもやべー分かんねーと思いながら解説記事を読み全体像を理解したとき、その構成の美しさにほれぼれしました。
なにからなにまでTENETというタイトルに集約されているのが本当にすごかったです。
TENETは回文性、インセプションはペンローズの階段、プレステージは『確認・展開・偉業』と、ある概念に物語全体を象徴させるのがノーラン映画の特徴にもなっています。
監督の時間に対するこだわり(のヤバさ)
ここはあまり多くを語る必要はないかと思います。
監督の時間に対するこだわりはヤバイです。
初監督作品フォロウィングからあの手この手で時間ギミックを使用し、観客を翻弄し続けています。
もはや時間ギミックのない作品を一本くらい撮ってほしい位のこだわりです。
クリストファー・ノーランは何を映画で描くのか
時間という概念を使って夫婦、親子に関する物語
を描いているのだと思います。
あの手この手でわりと同じテーマを描き続けている監督さんです。
では、これにて『クリストファー・ノーランをテネットする』企画を終えたいと思います。
おつき合いくださりありがとうございました~。
カミオモトでした。