『ゾンビランド:ダブルタップ』見ました。 『ゾンビランド』が2009年公開、今作が2019年なので10年の時を経ての続編になります。 映画上でも前作から10年経ったという設定。 あらすじ 前作での出会いから10年。 コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックはゾンビ出現後の世界で共同生活を続けていた。 家族のような関係を構築していた4人は、まさに多くの家族が直面するような精神的問題にぶち当たっていた。 コロンバスとウィチタは二人の関係を『結婚』へと進めるかどうかで
クリストファー・ノーラン、11作目の監督作品『TENET テネット』見ました。
初見鑑賞中、あまりに状況理解ができなさすぎて(主人公がラスボスの妻にモーションかけてるな、とかこのイケメンや軍隊は味方なんだな、とかそういうことは分かるが、そういうことしか分からなさすぎて)笑うしかなかったです。
ノーラン監督の私たちへの信頼を感じましたよ。
「監督.....!!!本気で分かんないんですけど....!!!」と思いながら嬉しかったものね。
だがしかしハリウッドの難解な映画を好むガチの映画オタク(クエンティン・タランティーノさん)たちも絶対初見でTENET分からなさ過ぎて笑ったと思います...。
クリストファー・ノーラン監督をテネットする
しかし、本作でがぜんクリストファー・ノーラン監督という人物に興味が湧いてきたので『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という企画で、ノーラン監督の作家性やオブセッション(強迫観念・執着するもの・こだわり)を探ってゆきたいと思います。
全8回を予定しておりまして、
TNET テネット
ダンケルク
インターステラー
フォロウィング
メメント
プレステージ
インセプション
総括
ノーラン監督作品7作を鑑賞・分析してそれぞれ記事にしてゆき、最後に『ノーラン監督ってコレを描くために映画を作ってるんじゃない?』というような何かを見つけられたらいいなと思っています。
ぜひおつき合いくださいませ。
TENETってどういう映画でした?
初見で理解できたストーリーは、
主人公は口ひげ&ムキムキの人。デビッキ様がラスボスの妻。金髪のアル中っぽい人が主人公の相棒ニール。
TENETがキーワード。回転ドアみたいな機械に入ると過去に向かって進める(???)。
軍隊は主人公の味方。軍隊はニールの仲間。ニールに仲間がいたことで主人公キレる。(素性の分からない登場人物がいすぎて、ニールが素性を隠していたことにキレる主人公ピンとこず。ニールは科学者のお姉さんの仲間なんやな、って勝手に脳内補完してたけど主人公はそうじゃなかったらしい)
デビッキ様がデビッキ様しかできない方法で車から脱出する。
過去に向かって進むことでデビッキ様助かる(????)。
空港シーンではニールは逆行してきた自分たちと出会ったことを黙っていたのが発覚。
プルトニウム241を奪還すると世界を救うことができる。
軍隊Aと主人公と軍隊B(ニールもここにいた)で逆行装置を使った挟み撃ち作戦決行。
主人公組は、普通の世界には戻れない(?)決死隊グループ。
ニールは作戦の途中で主人公たちを助けるために単独行動に。
ニールも主人公とともに決死隊グループに入って、無事プルトニウム241奪還。
ニールのキーホルダ―を見て主人公ハッとする。
ニールと主人公の生きる時間軸(?)はこれから変わってしまうらしい。二人はもう会えなくなってしまうらしい...。
こんな感じでした。
ラストのアクションは何か起きてるのかほとんど分からなかったです。
あとで解説記事を見た結果、ニールは主人公を助けるために主人公と二度と会えない道を選んだどころか映画のお別れシーンのあとニールは主人公を助けるために死んでることを理解し、心臓を押さえました。
お別れシーンでのニールは、主人公たちが穴から脱出するにはカギを開ける人間が必要だということを理解していて、かつ、それは自分だということを理解していて(未来の主人公に教えてもらったのかな?)、かつ、未来の自分が穴から出てきていないのを見て、自分があそこで死ぬんだということを理解していたんだろう...というのが現在の理解です。(またはニールは主人公を助けるために死んだことを未来の主人公に聞かされていたのかな。ニールは最初から自分が死ぬことを知って任務に挑んでたのか............)
ニールは世界を救うためにそうしたのか、主人公を救うためにそうしたのか、分からないですけれども、あのお別れのシーンには2時間30分を超える時間が凝縮されていて、美しかったですね。
主人公にとってTENETという映画は、ニールとの出会いを描いた物語。
ニールにとってTENETという映画は、主人公との別れを描いた物語。
…………心臓が痛い。
執拗なまでに時間の回文性を追求していた作品でしたが、その回文性のなかにこれだけの感情・ドラマを詰め込んだノーラン監督はやっぱりすごいなぁ、すごすぎてちょっと尋常じゃないなぁと今更ながら思いました。
ハリウッドで作家性を保ちながらヒットを飛ばしている人間が常人なわけないだろ!ですね。
テネットから考えるノーランのオブセッション
『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』と題した企画で取り上げる予定の作品は
TNET テネット
ダンケルク
インターステラー
フォロウィング
メメント
プレステージ
インセプション
の7作品です。
そのうち、筆者が見たことあるのは
の5作品になります。
メメントとインセプションに至っては『そもそもあんまり内容を理解できなかった&見たのが昔すぎてあまり覚えていない』状態。
ダンケルクとインターステラーは『見たときは分かったけど、けっこう前に見たからあんまり覚えていない』状態です。
そんな状態ですが、一応見たことのある4作品と今回鑑賞したテネットを比較して、ノーランの監督のオブセッションを考察してみたいと思います。
[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。
(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]
※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。
ノーランのオブセッション候補:時間をこねくり回して語る「時間」
たしかインターステラーでも時間が伸び縮みしていました。
宇宙空間にいる父親と地球にいる娘とでは時間の進み方が異なっており、父親が宇宙の惑星に数分滞在しただけで、娘は十数年の年をとっている...というような悲しいシーンがありました。
父親にとっては数分、娘にとっては十数年の時を経たあと、宇宙にいた父親も地球にいた娘も、今は同じように時間が流れる場所にいるのに、お互いを思い合う心の内実には大きな大きな隔たりができているのです。
父はまだ幼かった娘を思う心をもったまま、
娘は家を出て行った父親に対して悲しみを経て、諦めを経て、環境の変化を経て、自身の成長を、十数年の時間を経て、
お互いを愛する心の総量に違いはないとしても、時間に重さや量というものがあるとすれば、娘の思いには十数年分の時間の重みが伴っているのです。
宇宙という時間の化け物みたいな存在と比べてはあまりにちっぽけな十数年が、人間の生にとってどれほどのものなのか。
同時に、「そのちっぽけな十数年が宇宙そのものを変えてしまう」というね、監督はそういうメッセージを描いているように思えます。
インタステラーの結末はそういう感じだったなと受け止めています。
「登場人物の抱える時間の重さ」に隔たりを作る方法は違いますが、
(インタステラーは宇宙の、アインシュタインの有名なやつで場所によって時間の進み方が変わる..)
(テネットはエントロピーが原因で時間を逆行できる..)
「登場人物の抱える思い」に伴う時間の量を変えて、そこでドラマを、登場人物が動く動機を作って、宇宙全体の危機を救うというのは、インターステラーもテネットも同じだなぁと思います。
ニールが10歳のときに主人公に出会ったとして、それから映画の時間軸まで20年ほどでしょうか。
その20年の間に芽生えたニールの主人公への思いが、テネットという映画で描かれていた出来事を起こしたのです。
ニールは20年分の思いを伴って生きていて、主人公はあのときはじめてニールに出会ったのです。
ノーラン監督のオブセッション候補①はやはり、時間。
長くすれば、
宇宙という時間の化け物と比べてはあまりにちっぽけな十数年が、人間の生にとってあまりに大きいということ。そのちっぽけな十数年こそが宇宙そのものを変えるということ。
「登場人物の抱える思い」に伴う時間の量を変えて、そこでドラマを、登場人物が動く動機を作って、宇宙全体の危機を救うという構図
ですかね!
言葉にしても「ふうん」としか思えないようなことですが、2時間3時間の映画のなかでドラマを通じて観客に何かを感じさせて滂沱の涙を流させるノーラン監督はやっぱり稀代の映画監督ですね。ストーリーもすごいのに映像もすごいのが本当にすごい。ていうかテネットほどのややこしい話を映画にしようと思ったこと自体がすごいし実現したことはもはや信じられないです。
どうやったらそういうことができるのかを知りたいので、ノーラン監督の人生をこっそり観察してみたいです。
ちなみに筆者はデビッキ様の息子マックス=ニール説(Max=MaximiliaN=Nail)について、「絶対そう」と思っている人間です。むしろマックスがニールじゃなかったらニールは誰なのだと。映画の冒頭に拳銃が出たら、その拳銃は銃弾を放たなければならないって誰かが言ってました。
ノーランのオブセッション候補:上手くいってない夫婦
テネットではデビッキ様とセイターが愛のない夫婦をしていたし、インターステラーでは詳細は覚えていないのだけどたしかお母さんはいなかった(死別していたのかな。また見た時に確認します)
メメントもたしか主人公は妻を殺したのかそうでないのか?みたいな話だったし、インセプションでもディカプリオは家族のことで悩んでいたのを覚えている。
ダンケルクではどうだったか覚えていないのですが、ノーラン監督の作品には上手くいってない夫婦がよく登場しますね。
これはこの企画で監督の映画を見ていって、さらに詳細を考察していきたいと思います。
テネットでのデビッキ様とセイターは、
財力と暴力で妻を服従させようとする夫と夫から逃れたい妻として描かれていました。
これは全くの勘ですが、ノーラン監督のオブセッションという点においては、セイターというキャラクターの造形がけっこう重要なのではないかなと思います。
セイターの家庭内暴力
セイターは苛酷な少年時代を過ごし、たった一人で瓦礫の中からプルトニウムを探す仕事をしていました。
そこで時間逆行装置と出会い、財を築きのし上がってきた。
自分のことを虎だと称し、妻を支配し、自分がガンで死ぬときに世界を道連れにしようとする。
というとんでもない人物なのですが、自分を虎に例えるのも、自分に反抗する妻に激昂し手を挙げるのも、セイターが虚勢を張った人間であるということの証明に思えます。
キレるっていうのはコンプレックスや恐れを刺激されたときの反応だと思うので。
やくざのボスらしく主人公に対しては感情を乱さず淡々と脅しますが、妻と関わるときは感情を制御しきれていませんでした。
仕事では感情を抑えられるけど、妻には感情を押さえ(られ)ずに暴力で支配しようとする。それがセイターでした。
上手くいっていない夫婦仲、家庭内暴力、というのをノーラン監督のオブセッション候補②にしたいと思います。
エントロピーだったり相対性理論だったり、魔法や妖精ではなく科学技術の果てにできたとする道具を使うのにもこだわりがあるように思います。
たしかインセプションも人の夢の中に入る「魔法」ではなく「科学技術」が開発されていた体でした。
ノーラン監督はファンタジーではなくSFの人。
『SF』というのもズバリ監督のオブセッションだと思いますね。
監督はSFが好き。
まとめ:『ノーラン監督』×(『時間』+『夫婦』+『SF』)=『TENET テネット』
テネットから考えるノーランのオブセッションは、
時間
夫婦
SF
になりました。
ノーラン監督は、SF的手法を使い、同じ場面に登場する人物が抱える時間の量を変えて、そこにドラマをを作る。
そのドラマには上手くいっていない夫婦が絡んでくる。
どうでしょうか。
検証していくのが楽しみです。
蛇足:『ノーラン監督をテネットする』の意味
これから記事を書いていく7作品は、
映画の作成順でいうと
フォロウィング(1998)
メメント(2000)
プレステージ(2006)
インセプション(2010)
インターステラー(2014)
ダンケルク(2017)
TENET テネット(2020)
になります。
これを、
↓④フォロウィング(1998)
↓⑤メメント(2000)
↓⑥プレステージ(2006)
⑦インセプション(2010)
↑③インターステラー(2014)
↑②ダンケルク(2017)
↑①TENET テネット(2020)
上記のような順番で見ることで、「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気で使われている言葉です。あまり考えずに思いついたまま使っています。
そういえばテネットの世界において順行の世界が赤で、逆行の世界が青で表現されているのが少し不思議です。
非常時である逆行の世界が赤色のほうが普通の気がしますけどね。
作中において逆行する人間たちの意志の静けさを青色で示していたりするのでしょうか。
これについてはまたテネットを2度3度と見るときにまた考察してみたいと思います。それか町山智浩さんに教えてもらいたい。笑
次はダンケルクについて書いていきます。
ではまたお会いしましょう。