『インターステラー』あらすじと感想。終わりゆく世界の叫び声【ネタバレあり】ノーラン企画③
クリストファー・ノーラン9作目の監督作品、『インターステラー』見ました~。
筆者は『インターステラー』でノーラン監督に撃ち抜かれた人間です。
ダークナイトで監督を知り「いい映画を見たな」とドキドキしたんですけれども、インセプションはちょっとよく分からず。その後2,3回見てもやはりちょっと分からず...
しかしかれこれ6年程前に映画館に本作を見に行ったときはクライマックスで号泣しました。
ラストの急展開に圧倒されながらも、ノーラン監督はすごいぞと興奮して帰路についたのを覚えています。
今回久しぶりにしっかりと見直してみて、監督の真骨頂はやはり「時間」なんだなと思い知りましたね。
映画の外にある何十年という時間を物語に組み込む手腕に脱帽です。
観客の想像力によって完成する作品を撮っているんだなと、そんなやり方ができるのかと頭を抱えて唸りたいような気持ちになりました。
ノーラン監督をライバルとして生きる人間には絶対なりたくないですね。強大すぎる。
あらすじ
気候変動や疫病に襲われ、地球は未曾有の食糧危機に瀕していた。
砂嵐に覆われた世界で、かつてNASAのパイロットだったクーパーは農夫をしている。
食料の確保さえままならない時代に宇宙飛行士は誰にも必要とされていなかった。
クーパーの妻は悪性の脳腫瘍で亡くなり、父親ドナルド、娘のマーフ、息子のトムと4人で暮らしていた。
マーフの部屋には本棚から本を落としたり、機械を壊したりする「幽霊」がいる。
マーフは幽霊を怖がるような少女ではなかった。
クーパーはマーフに伝える。「事実を記録して、分析するんだ。そして結論を導く」
幽霊はクーパーとマーフにある座標を示し、二人はNASAの本部へたどり着く。
NASAは地球に未来はないと判断し、他の惑星への移住計画を立てていた。
クーパーはラザロ計画のパイロットとして宇宙に行くことを決め、マーフは必死に父親を引き留めるが....
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=qZZ9jRan9eo)
クリストファー・ノーラン監督をテネットする
エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。
[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。
(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]
企画は、以下7作を
フォロウィング(1998)
メメント(2000)
プレステージ(2006)
インセプション(2010)
インターステラー(2014)
ダンケルク(2017)
TENET テネット(2020)
以下の順番で見ていくことで
↓④フォロウィング(1998)
↓⑤メメント(2000)
↓⑥プレステージ(2006)
⑦インセプション(2010)
↑③インターステラー(2014)
↑②ダンケルク(2017)
↑①TENET テネット(2020)
「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。
第一回『TENET テネット』について書いた記事はこちらから見れます。
第二回『ダンケルク』について書いた記事はこちら。
監督挟み撃ち作戦:現在の状況
現在は
第一回『TENET テネット』の考察
第二回『ダンケルク』の考察
が終わっている状況です。
テネットでは
時間
夫婦
SF
ダンケルクでは
時間
命の選別
明かされない真実
が監督のオブセッション候補として出てきました。
それを踏まえてインターステラーの考察に入りたいと思います。
ちなみに
筆者はノーラン監督作品のうち、
バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット
を鑑賞済です。
※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。
時間と親子
クーパーは人類が生存できる環境の惑星を探しに宇宙へ旅立ちます。
しかし、重力の影響で、ある惑星で過ごす1時間が地球では40年に相当するという恐ろしい事実が存在していました。
ラザロ計画の宇宙飛行士たちは、一番最初に水の惑星へ降り立ちます。
水の惑星は人類が生存できる環境ではなく、数十分間の探索を終えた彼らは宇宙空間へと戻ります。
戻って来たクーパーを迎えたのは、自分と同い年になった娘マーフでした。
マーフはもうとっくに父は死んだものとして彼にビデオメッセージを届けているのですが、探索から戻って来たクーパーはちゃんとメッセージを受け取るんですね。
マーフは二十数年の時を生きてきたのに、クーパーはたった数十分の時間しか過ごしていないのです。
『登場人物が抱える時間の量に隔たりを作る』という手法はテネットでも使われていました。
主人公は映画上の時間において初めてニールに出会いますが、一方のニールは、未来の主人公との濃密な時間を抱えて、未来から過去にやって来たのです。
ノーラン監督は登場人物が、特に親子がそれぞれに抱える時間の量に隔たりを作る上で、特に子ども側に長い時間を抱えさせる傾向がありますね。
テネットの主人公とニールも疑似親子的な関係だと見なすと、クーパーとマーフの関係に非常に似ているところがあります。
(テネットでは非常に親子っぽいけど最終的には上司と部下のような同僚のような、対等な人間同士という線があるので、あのラストにできたんだと思います。非常に親子っぽいけど、親子の関係ではないのがテネットのコンビですね。)
インターステラーで言うと、マーフたちのために命がけで旅立ったクーパーもすごいけど、何十年もの間連絡のとれない父の生存を信じて、人類が生き残る手がかりをつかんだマーフの行動のほうが想像を超えるような奇跡だという気がします。ニールの行動も同じく。
監督の作品において、主人公はクーパーであり名もなき男である父親側の人間で、カメラが追うのもまた主人公である父親なのですが、監督がどうしても描かざるを得ないのは、子どもの立場にいる人間の行動であり決意なのだろうと感じます。
映画では描かれない彼らの時間がノーラン監督作品の肝であり、映画に深さと重みを与えているからです。
子どもの立場にいる登場人物の決意の重さは映画の外に存在を示されるだけ、というパターンも監督の作家性として強く出ていますね。
命の選別
この作品で『命の選別』を行った印象的な登場人物は、マン博士、ジョン・ブランド教授、クーパーの3人でした。
マン博士もブランド教授も宇宙探索という名目のもと、人類のために働くという志で生きてきた人間なのだと思います。
クーパーだけは、すでにNASAを退職しており、物語では一貫として「子どもたちのために」動くことを明確にしていました。
人類のために生きてきたはずのマン博士とブランド教授は、結局は自分と娘のために生きることを選択しました。
他の人を殺してでも、他の人を騙してでも、自分の命のため、自分の娘のために生きることを選んだのです。
一方で最初から「自分の子どもたちのために」宇宙へ行くことを明確にしていたクーパーだけが、自分を犠牲にし、なおかつ他者を生かす選択をしました。
マン博士は自分のために、他者を犠牲にして行動しましたが、ブランド教授は娘のために、他者と自分を犠牲にし、クーパーは娘のために、他者を生かし自分を犠牲にしましたね。
インターステラーという物語において、この3人の選択が物語を動かす動力になっていたと思います。
しっかりと違いを整理した上で、監督はこの3人を動かしていたんじゃないかなという印象です。
死を選択すること
インターステラーではクーパーが、ダンケルクではファリアと英国将校が、テネットではニールが、それぞれ誰かのために自分の命を犠牲にしています。
自己犠牲を賛美するような作風では決してないですが、ノーラン監督のなかで、『死を選ぶことは生き方を選ぶことである』という哲学が存在しているのを感じます。
ここはこれから『ノーラン監督をテネットする』企画、後半戦で確かめていきたいです。
世界を救う
最後に、ノーラン監督はわりと世界を救いがちな人だなと思いました。
ハリウッドの大作映画はそんな感じじゃない?ともなりますが、ハリウッドの大家スティーブン・スピルバーグだと「恐竜から逃げのびる」や「宇宙人を宇宙に帰す」や「サメの捕獲」などで、案外世界は救っていません。
インターステラーやテネットでは、主人公たちの行動が最終的に世界を救います。
「時間」の前提を崩していくようなストーリーを作ると、どうしても世界全体が関係してくるという理由があるのだと思います。が、やはりここはシンプルに監督は「世界」や「時間」というスケールの大きい話が好きなんだ説を推したいです。
ハードSFセカイ系ハリウッド映画監督。
まとめ:『ノーラン監督』×(『時間』+『親子』+『死の選択』+『世界を救う』)=『インターステラー』
時間
親子
命の選別
死を選択する
世界を救う
でした。
特に『死を選択する』というのが、『命の選別』という命題に対しての監督の答えであるような気がしますね。
次回、クリストファー・ノーラン監督をテネットする企画第4弾は『フォロウィング』です。
まったくの未見&どんな話なのかも知らないので楽しみです。
感想:終わりゆく世界の叫び声
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=qZZ9jRan9eo)
映画序盤の「もうすぐ終わる世界」の描き方がとてもよかったです。
インターステラー裏概念として砂の惑星、水の惑星、氷の惑星というのがあるらしいのですが、滅びつつある地球を砂嵐に覆われる惑星として映像化しているのが見事でした。
トウモロコシ畑が本当によかった。
ハンス・ジマーの、太い金属の糸が引き伸ばされてちぎれそうになっているみたいな音楽もよかったです。
作中序盤の音楽のテーマはきっと「叫び声」だと思います。
トウモロコシ畑に砂埃を被った木造の家。
薄茶色の世界を眺めながらビールを飲む父親とその父。母親のいない家。
毎年流行る疫病のせいでジャガイモやエンドウが順番に育たなくなっていく。
世界が徐々に終わりつつあるのは明らかなのに、子どもを育てる父親はけっして言葉では未来を悲観しないのです。
「なんとかするさ」と言って、子どももまた父の言葉を信じています。
父親は約束を果たし、娘は父を信じ抜くことで、二人は本当に世界を救います。
この話はたくさんの、約束を果たせなかった親子を癒すのではないかなと思います。
この作品では、ノーラン監督の親としての姿ももちろんですが、監督自身の子としての姿がより色濃く表れているように感じました。
ラスト、『とっくにクーパーの年齢を追い越しておばあさんになったマーフがアメリアの元にクーパーを旅立たせる』展開がすごく好きでした。
『マーフがクーパーと再会を果たして、二人がまた一緒に暮らして終わり』でもなく、『バットマンが汚名を晴らして終わり』でもない、事実を冷徹に見つめ、選択を止めない登場人物たちこそがノーラン映画の真髄なのだと思います。
ではまた次回お会いしましょう。カミオモトでした。