夢のラ・ラ・ランド、血のセッション
ともに脚本・監督 デイミアン・チャゼル の作品について話してみたいと思います。
『ラ・ラ・ランド』鑑賞後、原因不明の体調不良に襲われた身としては監督のファーストネームから悪魔の子ダミアンをフラッシュ・バックしてしまいます。
これを読んでくださる何人かの方には分かると思うんですが、デイミアン・チャゼル監督、性格が悪い。すごく新種の、すごい悪い、説明しにくい意地悪しないでくれよと言いたくなるような意地悪を『ラ・ラ・ランド』から感じました。
内容は世界レベルだけど、意地悪の質は小学生の女の子が嫌いな女の子に本人には確実に分かるような何かをして、された女の子が第三者に訴えても『気のせいじゃない?』と言われ、本人に伝えても『そんなことしてないけど』で終わる。あの意地悪です。
やられた当人には分かるんですよ。
血のセッション
では、血のセッションの話をしていきたいと思います。
2014年デイミアン・チャゼル監督の作品『セッション』。
セッションはジャズ教師と学生ドラマーを描く音楽映画です。
ジャズ教師フレッチャーは最高レベルの音楽家を育てるために自分のクラスの学生に鬼指導をしています。物を投げる、顔をぶつ、至近距離でFワード連発、何でもありです。
主人公の学生ドラマーは、有名な音楽学校に通っていて、ドラムで食べて行けるような一流のドラマーになりたいという夢があります。親戚には「ふうん、いい学校に通ってるんだね。で、ドラムでこの先生きてくつもり?」と夢追い人扱いです。
学生ドラマーには、自分はドラムで食っていけるという自負と不安もある、同じ夢追い人には分かるプライドが高い感じの学生です。
その学生ドラマーが、鬼教師に出会います。
鬼教師の体罰・パワハラ・モラハラなんでもありの指導についていく学生ドラマー。
ちょっと浮世離れした指導をする教師に出会う、その教師の鬼指導についていく、彼がどんなに非難されようと鬼教師の理想としていることが俺には分かるという、真実であり、同時にその状況に酔っているようなヒロイズムに彼と同じ夢追い人はめっちゃ分かるけど見ててつらい気持ちになります。
同時に、こんな風に自分のこと(学生ドラマー≒観客)を言い当ててる作品初めてだな、となります。
そして血と衝撃の展開の末、なんかすごいものを見たな、というカタルシスと共に劇場を後にするのでした。
血のセッションの監督が作る、新たな夢追い人ストーリー
心の映画ノートに『セッション デイミアン・チャゼル よかった』と記した観客は彼の最新作の話を聞いて胸を躍らせます。
『ラ・ラ・ランド』か。ポスターめっちゃお洒落でかわいいけど、あの監督の作品がめっちゃお洒落でかわいいだけのはずないよな~。くくく。
キャッチ―なタイトルとポスターのいい感じのお洒落感から劇場に入った観客をあの落とし穴に突き落とすんだろうな。集客のために仕方ないとしても監督性格悪いな~。
と、思っていたのです。
いたのですが、落とし穴という名の心の闇に突き落とされたのはまさに自分でした。
前作の暗闇を期待した観客こそを、彼はもう一度突き落とした。そのために夢の世界を描いたんだと思います。
どういうこと?って感じなので、書いてみます。
以下から映画の内容に言及しますので、ネタバレ気にしない方のみ読んでください。
ラ・ラ・ランドを見たアンドリュー
まず、ラ・ラ・ランドがどういうお話なのか。
ストーリーは往年のミュージカル映画で、売れないミュージシャンと女優の卵がそれぞれ売れない時代に出会い、お互いから刺激を受けて夢への切符を掴み、夢を掴んだことで二人は離れ離れになる。
というお話です。
そのお話がものすごく美しい画面とダンスと演技とともに描かれます。
前作セッションで主人公のアンドリューは、夢のために女の子と遊んでる暇はないってことで彼女と別れてるんですよ。「君と遊んでる時間はないんだ」「何様のつもり?」っていう会話をして、それで一人っきりになって教授についてって。夢を優先したその先をすでに描いてる人なんですチャゼル監督は。
アンドリューを踏まえて見ると、ラ・ラ・ランドの主人公セブとエマ・ストーンの、恋は叶わなかったけれど二人とも成功してて、夢を現実にしてて、そもそもエマ・ストーンの夢をあきらめれば実家に帰ってまた学校に通い直せていい職業につける感じとか、ライアン・ゴズリングの自分の音楽に固執しなければ成功できる才能がある感じとか、そんなに切なくないじゃん。ぜんぜんいいじゃん。成功者の成功譚じゃん。
と思っちゃうのです。
劇場ではあの映像と音楽に魅せられて感動しました。ラストの15分間はディズニーランドにいるみたいでした。
だがしかし、私の中のアンドリューは慟哭し、体調不良を訴えます。
チャゼル監督は、ラ・ラ・ランドを見たアンドリューが体調を崩すことを知ってると思うのです。
わざとです。
ラ・ラ・ランドの暗闇に落ちて
しみじみ思い返すと、デイミアン・チャゼルは私たちのことを裏切らなかったよなぁ。むしろ、俺たちにだけ分かる極彩色の闇を届けてくれたよなぁ。と、今はそう思えます。
見てすぐは謎の消化不良感、しばらくした後はララランド絶賛評に対するアンドリューばりの優越感(オレにはチャゼル監督が分かる)でいっぱいでした。
書くことができてよかったです。
ファースト・マンまだ見ていないので、楽しみです。