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『ダンケルク』あらすじと感想。クリストファー・ノーランが描く戦争【ネタバレあり】ノーラン企画②

クリストファー・ノーラン監督をテネットする企画、第二弾。

クリストファー・ノーランによる10作目の監督作品、『ダンケルク』見ました~。

陸・海・空の視点からダンケルク救出作戦を生きた登場人物たちの一幕を描いた作品でした。

 


同じく戦争を扱った映画『プライベート・ライアン』のような徹底的な痛みの描写こそなかったものの、人物の動き・ストーリーについては、とても写実的に描かれています。

第二次世界大戦を生きた兵士の一幕が、監督自身の想像力により、映画としても歴史を後世に残すためのストーリーとしても機能するような作品に仕上がっていました。

 

登場人物

 

 陸【一週間]


トミー

本作の主人公的人物。

ドイツ兵が迫る仏ダンケルクで救助を待つ陸軍兵士。逃げ延びた海岸でギブソンと出会う。

 


ギブソン

海岸で出会ってからトミーと行動を共にする兵士。頑なに話さない。

 


アレックス

ハイランダーズ所属の陸軍兵士。沈没した船から逃げる際にトミーとギブソンに助けられる。

 


海[1日]

 
ドーソンさん

遊覧船ムーンストーン号の船長である英国市民。

軍に船を渡さず、自らが船長としてダンケルクへ兵士救出に向かう。

 


ピーター

ドーソンさんの息子。ムーンストーン号に同乗し、ダンケルクへ向かう。

 


ジョージ

ドーソン親子の知り合いの青年。二人と同じ船に乗り、ダンケルクへ向かう。

 


名前のない英国兵

沈没する船の上にいたところをムーンストーン号に助けられる。ダンケルクからイギリスへ向かっていた兵士。

ムーンストーン号がダンケルクへ向かうと知り、恐慌状態に陥る。

 


空[1時間]


ファリア

イギリス空軍のパイロット。スピットファイアに乗りダンケルクへ向かう。

戦闘序盤に燃料メーターが壊れてしまう。

 


コリンズ

イギリス空軍のパイロット。

ファリアと同じ部隊でダンケルクへ向かうが、空中戦で機体を撃たれ、海に不時着する。

 


あらすじ

1940年、第二次世界大戦初期。ナチス・ドイツによるフランス侵攻が行われている。

仏の港町ダンケルクでは40万人もの英・仏兵士が取り残され、イギリスへ向かうための救助船を待っていた。

 


ダンケルク撤退の様子が陸・海・空の登場人物たちの視点を織り交ぜて描かれていく。

陸パートでは一週間の間で起きた出来事
海パートでは一日のうちに起きた出来事
空パートでは一時間のうちに起きた出来事

が描かれる。

 


陸パート

主人公トミーがギブソンと名乗る兵士と出会う。

ダンケルクには40万人の英兵、仏兵が取り残されている。彼ら全員の救助はほぼ不可能と考えられており、イギリスからやってくる船には英兵が優先的に乗せられていた。

イギリス人の中でも、傷病兵や将校が優先的に脱出していく中、二等兵であるトミーはギブソンとともになんとか船に乗り込もうとするが...

 


海パート

民間船舶ムーンストーン号がダンケルク救出作戦のために徴用される。

民間人であるドーソンとその息子ピーター。そして船に乗り合わせた青年ジョージはダンケルクへ向かう。

途中、ダンケルクから逃げてきた英兵を救出するが、船がダンケルクへと向かっていることを知った男は恐慌状態に陥る。

男を落ち着かせようとしたジョージは乱暴に手を振り払われ、階下の船室へ転倒してしまい...

 


空パート

三機のスピットファイアダンケルク救出作戦のため出発する。

三機のうち二機はドイツ兵との戦闘により墜落・不時着する。

スピットファイアパイロットであるコリンズ、ファリアは、イギリスで行われるだろう本土決戦のため、帰還用の燃料を残しておくよう指示されていたが...

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


エイガジェルでは『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という題で、クリストファー・ノーラン監督のオブセッションを探る企画を絶賛進行しています。

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

 


企画は、以下7作を

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

 

以下の順番で見ていくことで

 

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気のものです。

 


監督挟み撃ち作戦:現在の状況

 


現在は第一回『TENET テネット』の考察が終わっている状況です。

テネットでは

時間
夫婦
SF

が監督のオブセッション候補として出てきました。

それを踏まえてダンケルクの考察に入りたいと思います。

 


ちなみに

 


筆者はノーラン監督作品のうち、

バットマンシリーズ
メメント
インセプション
インターステラー
ダンケルク
TENET テネット

を鑑賞済です。

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

 


ダンケルクから見えてくる監督のオブセッション

 


戦いや正義が舞台になっている作品だからか、ダンケルクには『ダークナイト』と共通する問いかけや思想が多かったです。

この映画を言葉で説明しようとする人間を発狂させる『時間』のマジックも健在でした。

ノーラン監督はなぜここまで時間を使った表現にこだわるのか.....本気で分からん............

時間にトラウマでもあるのでしょうか。時間だけはコントロールできないことへの恐怖を作品に昇華させている....?(それくらいしか思いつかない)

 


命の順番

 


ダークナイト』でジョーカーは、一般人ばかりが乗っている船と凶悪犯ばかりが乗っている船にそれぞれダイナマイトを仕掛けました。

そしてお互いにお互いの爆弾の起爆スイッチを持たせ、「自分たちが助かるために、相手の船を爆破するボタンを押せ!」とけしかけたのです。

 


自分たちが助かるためなら、相手の船を爆破するボタンを押すのも仕方ないんじゃない...?

そもそも相手は犯罪者ばかりが乗っている船でしょ、なら、私たちの方が助かるべきなんじゃない...?

あいつらは俺たちより自分たちの命を優先するに決まってる。だから、あいつらより早くボタンを押さないと....

 


バットマンがジョーカーを追い詰めている間に、観客と船に乗っている人々を揺さぶった問いでした。

 


ノーラン監督は、今作ダンケルクでも『命の順番』について描いています。

 


ナチス・ドイツに征服されつつあるフランス。

ダンケルクの海岸では40万人ものイギリス人兵士、フランス人兵士たちが助けを待っています。

イギリスから派遣される船が圧倒的に足りていない状況で、英国将校たちはイギリス人兵士を優先して脱出船に乗せていきます。

同盟国であれど、イギリスから来た船なんだからイギリス人が先だ、という論理です。

 


そんな中、フランス人はここに置いていかれると気づいたギブソンは、死んだイギリス人兵士の服とIDを盗み、英国人になりすましました。

後にハイランダーズのアレックスは、ギブソンとトミーに向かって、命の順番を語ります。

フランス人兵士よりイギリス人兵士、そして、ただのイギリス人兵士よりも、ハイランダーズの仲間の命が優先されると。

 


平和で皆が充足していれば表に出ることはないが、危機的状況に陥ることによって、従前より存在していた命の順番が明らかになる。

命に順番はあるのか?命に順番をつけるのか?

その選択を迫ることによって、ノーラン監督はストーリーの緊張感を高めていますね。

 


監督の中でも究極の問いとして存在しているのではないかと思います。

 


言わない真実

 


海パートで、ムーンストーン号に乗り込んだ青年ジョージは死んでしまいます。

ナチスドイツに攻撃されたのではなく、ダンケルクへ戻ることを拒んだ英国兵士と揉み合った末の事故でした。

 


ジョージがケガをしたことで英国兵士は恐慌状態から我に返ります。そして、ムーンストーン号は無事ダンケルクに到着し、空パートのコリンズと陸パートのトミーとアレックスの命を救いました。

しかし、道中、ジョージの怪我は悪化し、彼は死んでしまいます。

 


ドーソン親子は、英国兵士にジョージの死を明かしませんでした。

英国兵士はダンケルクから英国に戻る途中、魚雷の攻撃を受け、一人生き残り遭難していたところをムーンストーン号に助けられていました。

彼が「ジョージは大丈夫か?」とドーソンさんの息子ピーターに尋ねたとき、ピーターは一瞬湧き上がった怒りを抑え、「彼は無事だよ」と伝えます。

 


このシーンは、トゥーフェイスとしてのハーヴェイ・デントを公に晒さなかったバットマンの選択に通じるものを感じました。

 


ピーターとブルース・ウェインの選択に通じるものは一体何なのか、

単純に言えば、彼らは二人とも『真実を明かさない』決断をしたのです。それが善だと判断したから。

 


なぜこの二人の決断にカタルシスを感じるのか、そこには人間の根源的なものに通じる何かがあるような気がするのですが、詳しくは分かりません...

神話や倫理、正義と絡めて論文が一つ書けそうなくらいのテーゼである予感がします。

 


[memo title="ちなみにテーゼとは"]最初に呈示された(または呈示する)命題または命題群。「最初に」というのは、次にアンチテーゼが来ること、もしくはその可能性を想定しているから。ヘーゲル哲学、マルクス哲学で用いられた用語が一般化したもの。定立。

(出典:Weblio辞書)[/memo]

[memo title="命題とは"]

命題(めいだい、英語: proposition)とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質(真理値)をもつもの[1][2]。また数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと[3]。西周による訳語の一つ[4][5]。

(出典:Weblio辞書)[/memo]

[memo title="ちなみにカタルシスとは"]文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。

(出典:Weblio辞書)[/memo]

 


大なり小なり人は「言わない真実」を抱えて生きているから、ピーターやブルースの決断に共感できるのだろう、というのが現時点でかろうじて分かることです。

 


命の選別

 


ダンケルクのアレックス、ダークナイトトゥーフェイスインターステラーのマットデイモンと、ノーラン監督の映画には「元は多分悪い奴じゃないのに追い詰められた結果めっちゃ悪いことをする」人間が印象的に登場します。

 


ハイランダーズの仲間と、ハイランダーズではないトミーとギブソンたちとで商船に身を潜めている際、ドイツ兵からの銃弾を受けた。

船底に穴があき、穴をふさがなければ船が沈み、ダンケルクからの脱出の不可能になる。

そのような状況下で、アレックスはイギリス人兵士に扮した仏兵ギブソンに対して、「たとえお前が撃たれようとも、穴をふさぐのはお前の役目だ」と銃を突きつけます。

 


これはアレックスが悪いことをした、というよりも、『究極の状況下でアレックスは命の選別をした。他人の命を切り捨てた』という感じですね。

 


トゥーフェイスは、あの出来事を機に、他人の生死をコインの裏表で選ぶことにしました。

マットデイモンも、マシューマコノヒーよりも自分の命を選びました。

 


アレックスは悪を行ったのではなく、善ではないが、究極の選択を行った。

トゥーフェイスは、他者の生殺与奪の権がコインと自分にあるとした。傲慢であり悪であるが、そこに至った心情には、一定の真理があるような気がする。

マットデイモンもまたアレックスと同じように究極の選択を行った。けど、とてもクズな人間のように見えた。

 


ノーラン監督の映画に存在する、命の選別をしたキャラクターそれぞれの印象はこんな感じです。

命の選別という同じ行動をとったキャラクターに対し、「仕方なかった」「悪だが決定的な出来事があったから」「人間のクズっぽい」など、映画を通して受けた印象は様々です。

これはノーラン監督の、「命を選ぶ」という行動に対する様々なシュミレーションの結果ではないだろうかと思います。

「この場合は?」「じゃあこの場合はどうだろう?」と、監督自身も映画を撮るたびに考えていたのではないでしょうか。

 


究極の状況下で、登場人物に命の選別をするかしないかという選択をさせる。

そういうオブセッションがノーラン監督の中には存在していると思います。

そして、アレックスに対し「そうすべきではない」と言ったトミーやダンケルクに残った英国将校の行動が、監督の中に答えとして出てきたのではないかなと。

 


ダンケルクの次の作品であるテネットでは、「自分が病気で死ぬから世界を道連れにしようと思う」というとんでもない悪役が出てきます。

トゥーフェイスやアレックスと違って割と分かりやすく悪でした。

「他人の命を選別する」行為を極めて考えたら、「自分が死ぬときに世界中の人も殺す」になったのかもしれません。

 


命の選別という命題が監督の中で少しずつ消化されていっている感じが面白いですね。

思想の変遷という意味でも本当に新作が楽しみな監督です。映画文化永遠なれ...!

 


名前が出てこない主人公

 


ダンケルクの主人公はトミーという名前らしく、この記事でもトミーで通しているのですが、筆者、映画のなかでトミーという名前がどこで出てきたのか分かりません。名前呼ばれてたっけ? それかIDが映されていたのでしょうか。

 


ファリアやギブソンのように名前が印象的だったキャラクターがいる一方、ダンケルクの主人公トミーの名前は本当に記憶に残りませんでした。

なので今回の記事では、トミーを名前のない主人公として考えていきたいと思います。

 


名前のない主人公といえば、ノーラン監督最新作、『TENET テネット』です。

ダンケルクにて(ほとんど)名前のない主人公トミーが登場し、次作であるテネットで完全に名前が出てこない人物が主人公になったのは、ほぼ確実にノーラン監督の中で何かがあったのだろうと思います。

ここについて考察していくにはちょっと論拠が足りないので、掘り下げは監督の次回作が公開されたときに行いたいと思います。

監督のオブセッションとして「名前のない主人公」という概念が躍り出てきたことをこの記事では書いておきます。

 


やっぱり時間

 


そしてやはり時間です。

ノーラン監督は時間に並々ならない思いを抱いています。

本作ダンケルクも、一週間、一日、一時間の出来事を順番はバラバラに一つの映画にぶっこむという新手のスタイル。

インターステラーやテネットではアインシュタイン相対性理論エントロピーを使って劇中の時間を操っていました。

しかし、ダンケルクは史実を描く映画ということで、劇中の時間は変えられない。

じゃあもう仕方ない。普通に、普通の時系列で進む映画を撮ろう。

 

 

 

……とは絶対ならない。それがクリストファー・ノーラン監督です。

監督はなぜそんなにも「時間」にこだわるのか。それを尋ねているインタビューがあれば教えてください。

そんなに時間にこだわるようになることってあるのか?という位、ノーラン監督は「時間」という存在に執着しているように見えます。

老いが怖いとか死ぬのが怖いとかそういうこだわり方ではなくて、「一定に進む時間」にどうしても抗いたいという欲求を感じますね。

 


「私、時間が一定に進むの嫌なんですよね」というような感覚を明確に持っていそうでこわいです。(畏怖です)

嫌いを感じるもののスケールが大きすぎる...。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『命の選別』+『時間』)=『ダンケルク

 


ダンケルクから見えてきたノーラン監督のオブセッション候補は

命の順番
言わない真実
命の選別
名前が出てこない主人公
時間

でした。

命の順番と命の選別は別ものとして挙げています。

命の順番がまずあって、それから命の選別が行われるという流れのイメージです。言葉の概念としては微妙に違うので分けています。

5つのオブセッション候補のなかでも

命の選別
時間

の2つはやはり特に際立っているなーという印象。

 


時間にいたっては候補どころではなく確実に監督のオブセッションですしね。

 


これからあと5作品にわたって監督の作家性を追究していくのが楽しみです。

次は『インターステラー』について書いていきます。

『ゾンビランド:ダブルタップ』見ました。 『ゾンビランド』が2009年公開、今作が2019年なので10年の時を経ての続編になります。 映画上でも前作から10年経ったという設定。 あらすじ 前作での出会いから10年。 コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックはゾンビ出現後の世界で共同生活を続けていた。 家族のような関係を構築していた4人は、まさに多くの家族が直面するような精神的問題にぶち当たっていた。 コロンバスとウィチタは二人の関係を『結婚』へと進めるかどうかで

クリストファー・ノーラン、11作目の監督作品『TENET テネット』見ました。

初見鑑賞中、あまりに状況理解ができなさすぎて(主人公がラスボスの妻にモーションかけてるな、とかこのイケメンや軍隊は味方なんだな、とかそういうことは分かるが、そういうことしか分からなさすぎて)笑うしかなかったです。

ノーラン監督の私たちへの信頼を感じましたよ。

「監督.....!!!本気で分かんないんですけど....!!!」と思いながら嬉しかったものね。

だがしかしハリウッドの難解な映画を好むガチの映画オタク(クエンティン・タランティーノさん)たちも絶対初見でTENET分からなさ過ぎて笑ったと思います...。

 

 

クリストファー・ノーラン監督をテネットする

 


しかし、本作でがぜんクリストファー・ノーラン監督という人物に興味が湧いてきたので『クリストファー・ノーラン監督をテネットする』という企画で、ノーラン監督の作家性やオブセッション(強迫観念・執着するもの・こだわり)を探ってゆきたいと思います。

全8回を予定しておりまして、

TNET テネット
ダンケルク
インターステラー
フォロウィング
メメント
プレステージ
インセプション
総括

ノーラン監督作品7作を鑑賞・分析してそれぞれ記事にしてゆき、最後に『ノーラン監督ってコレを描くために映画を作ってるんじゃない?』というような何かを見つけられたらいいなと思っています。

ぜひおつき合いくださいませ。

 

 

TENETってどういう映画でした?

 


初見で理解できたストーリーは、

主人公は口ひげ&ムキムキの人。デビッキ様がラスボスの妻。金髪のアル中っぽい人が主人公の相棒ニール。

TENETがキーワード。回転ドアみたいな機械に入ると過去に向かって進める(???)。

軍隊は主人公の味方。軍隊はニールの仲間。ニールに仲間がいたことで主人公キレる。(素性の分からない登場人物がいすぎて、ニールが素性を隠していたことにキレる主人公ピンとこず。ニールは科学者のお姉さんの仲間なんやな、って勝手に脳内補完してたけど主人公はそうじゃなかったらしい)

デビッキ様がデビッキ様しかできない方法で車から脱出する。

過去に向かって進むことでデビッキ様助かる(????)。

空港シーンではニールは逆行してきた自分たちと出会ったことを黙っていたのが発覚。

プルトニウム241を奪還すると世界を救うことができる。

軍隊Aと主人公と軍隊B(ニールもここにいた)で逆行装置を使った挟み撃ち作戦決行。

主人公組は、普通の世界には戻れない(?)決死隊グループ。

ニールは作戦の途中で主人公たちを助けるために単独行動に。

ニールも主人公とともに決死隊グループに入って、無事プルトニウム241奪還。

ニールのキーホルダ―を見て主人公ハッとする。

ニールと主人公の生きる時間軸(?)はこれから変わってしまうらしい。二人はもう会えなくなってしまうらしい...。

 

こんな感じでした。

 

ラストのアクションは何か起きてるのかほとんど分からなかったです。

あとで解説記事を見た結果、ニールは主人公を助けるために主人公と二度と会えない道を選んだどころか映画のお別れシーンのあとニールは主人公を助けるために死んでることを理解し、心臓を押さえました。

お別れシーンでのニールは、主人公たちが穴から脱出するにはカギを開ける人間が必要だということを理解していて、かつ、それは自分だということを理解していて(未来の主人公に教えてもらったのかな?)、かつ、未来の自分が穴から出てきていないのを見て、自分があそこで死ぬんだということを理解していたんだろう...というのが現在の理解です。(またはニールは主人公を助けるために死んだことを未来の主人公に聞かされていたのかな。ニールは最初から自分が死ぬことを知って任務に挑んでたのか............)

ニールは世界を救うためにそうしたのか、主人公を救うためにそうしたのか、分からないですけれども、あのお別れのシーンには2時間30分を超える時間が凝縮されていて、美しかったですね。

主人公にとってTENETという映画は、ニールとの出会いを描いた物語。

ニールにとってTENETという映画は、主人公との別れを描いた物語。

…………心臓が痛い。

執拗なまでに時間の回文性を追求していた作品でしたが、その回文性のなかにこれだけの感情・ドラマを詰め込んだノーラン監督はやっぱりすごいなぁ、すごすぎてちょっと尋常じゃないなぁと今更ながら思いました。

ハリウッドで作家性を保ちながらヒットを飛ばしている人間が常人なわけないだろ!ですね。

 

 

テネットから考えるノーランのオブセッション

 

 


クリストファー・ノーラン監督をテネットする』と題した企画で取り上げる予定の作品は

TNET テネット
ダンケルク
インターステラー
フォロウィング
メメント
プレステージ
インセプション

の7作品です。

そのうち、筆者が見たことあるのは

テネット
ダンケルク
インタステラー
メメント
インセプション

の5作品になります。

 

メメントインセプションに至っては『そもそもあんまり内容を理解できなかった&見たのが昔すぎてあまり覚えていない』状態。

ダンケルクインターステラーは『見たときは分かったけど、けっこう前に見たからあんまり覚えていない』状態です。

そんな状態ですが、一応見たことのある4作品と今回鑑賞したテネットを比較して、ノーランの監督のオブセッションを考察してみたいと思います。

 

[memo title="ちなみにオブセッションとは"]「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。

 

(出典:現代美術用語辞典 1.0)[/memo]

※筆者が鑑賞済みの作品の内容にも言及していきますのでご注意ください。

 

 

ノーランのオブセッション候補:時間をこねくり回して語る「時間」

 
たしかインターステラーでも時間が伸び縮みしていました。

宇宙空間にいる父親と地球にいる娘とでは時間の進み方が異なっており、父親が宇宙の惑星に数分滞在しただけで、娘は十数年の年をとっている...というような悲しいシーンがありました。

父親にとっては数分、娘にとっては十数年の時を経たあと、宇宙にいた父親も地球にいた娘も、今は同じように時間が流れる場所にいるのに、お互いを思い合う心の内実には大きな大きな隔たりができているのです。

 


父はまだ幼かった娘を思う心をもったまま、

娘は家を出て行った父親に対して悲しみを経て、諦めを経て、環境の変化を経て、自身の成長を、十数年の時間を経て、

お互いを愛する心の総量に違いはないとしても、時間に重さや量というものがあるとすれば、娘の思いには十数年分の時間の重みが伴っているのです。

 


宇宙という時間の化け物みたいな存在と比べてはあまりにちっぽけな十数年が、人間の生にとってどれほどのものなのか。

同時に、「そのちっぽけな十数年が宇宙そのものを変えてしまう」というね、監督はそういうメッセージを描いているように思えます。

インタステラーの結末はそういう感じだったなと受け止めています。

 


「登場人物の抱える時間の重さ」に隔たりを作る方法は違いますが、

(インタステラーは宇宙の、アインシュタインの有名なやつで場所によって時間の進み方が変わる..)

(テネットはエントロピーが原因で時間を逆行できる..)

「登場人物の抱える思い」に伴う時間の量を変えて、そこでドラマを、登場人物が動く動機を作って、宇宙全体の危機を救うというのは、インターステラーもテネットも同じだなぁと思います。

 


ニールが10歳のときに主人公に出会ったとして、それから映画の時間軸まで20年ほどでしょうか。

その20年の間に芽生えたニールの主人公への思いが、テネットという映画で描かれていた出来事を起こしたのです。

ニールは20年分の思いを伴って生きていて、主人公はあのときはじめてニールに出会ったのです。

 


ノーラン監督のオブセッション候補①はやはり、時間。

長くすれば、

宇宙という時間の化け物と比べてはあまりにちっぽけな十数年が、人間の生にとってあまりに大きいということ。そのちっぽけな十数年こそが宇宙そのものを変えるということ。
「登場人物の抱える思い」に伴う時間の量を変えて、そこでドラマを、登場人物が動く動機を作って、宇宙全体の危機を救うという構図

ですかね!

 


言葉にしても「ふうん」としか思えないようなことですが、2時間3時間の映画のなかでドラマを通じて観客に何かを感じさせて滂沱の涙を流させるノーラン監督はやっぱり稀代の映画監督ですね。ストーリーもすごいのに映像もすごいのが本当にすごい。ていうかテネットほどのややこしい話を映画にしようと思ったこと自体がすごいし実現したことはもはや信じられないです。

どうやったらそういうことができるのかを知りたいので、ノーラン監督の人生をこっそり観察してみたいです。

 


ちなみに筆者はデビッキ様の息子マックス=ニール説(Max=MaximiliaN=Nail)について、「絶対そう」と思っている人間です。むしろマックスがニールじゃなかったらニールは誰なのだと。映画の冒頭に拳銃が出たら、その拳銃は銃弾を放たなければならないって誰かが言ってました。

 


ノーランのオブセッション候補:上手くいってない夫婦

 


テネットではデビッキ様とセイターが愛のない夫婦をしていたし、インターステラーでは詳細は覚えていないのだけどたしかお母さんはいなかった(死別していたのかな。また見た時に確認します)

メメントもたしか主人公は妻を殺したのかそうでないのか?みたいな話だったし、インセプションでもディカプリオは家族のことで悩んでいたのを覚えている。

 


ダンケルクではどうだったか覚えていないのですが、ノーラン監督の作品には上手くいってない夫婦がよく登場しますね。

これはこの企画で監督の映画を見ていって、さらに詳細を考察していきたいと思います。

 


テネットでのデビッキ様とセイターは、

財力と暴力で妻を服従させようとする夫と夫から逃れたい妻として描かれていました。

これは全くの勘ですが、ノーラン監督のオブセッションという点においては、セイターというキャラクターの造形がけっこう重要なのではないかなと思います。

セイターの家庭内暴力

セイターは苛酷な少年時代を過ごし、たった一人で瓦礫の中からプルトニウムを探す仕事をしていました。

そこで時間逆行装置と出会い、財を築きのし上がってきた。

自分のことを虎だと称し、妻を支配し、自分がガンで死ぬときに世界を道連れにしようとする。

というとんでもない人物なのですが、自分を虎に例えるのも、自分に反抗する妻に激昂し手を挙げるのも、セイターが虚勢を張った人間であるということの証明に思えます。

キレるっていうのはコンプレックスや恐れを刺激されたときの反応だと思うので。

 


やくざのボスらしく主人公に対しては感情を乱さず淡々と脅しますが、妻と関わるときは感情を制御しきれていませんでした。

仕事では感情を抑えられるけど、妻には感情を押さえ(られ)ずに暴力で支配しようとする。それがセイターでした。

 


上手くいっていない夫婦仲、家庭内暴力、というのをノーラン監督のオブセッション候補②にしたいと思います。

 


ノーランのオブセッション候補:ファンタジーではなく、SF

 


エントロピーだったり相対性理論だったり、魔法や妖精ではなく科学技術の果てにできたとする道具を使うのにもこだわりがあるように思います。

たしかインセプションも人の夢の中に入る「魔法」ではなく「科学技術」が開発されていた体でした。

ノーラン監督はファンタジーではなくSFの人。

『SF』というのもズバリ監督のオブセッションだと思いますね。

監督はSFが好き。

 


まとめ:『ノーラン監督』×(『時間』+『夫婦』+『SF』)=『TENET テネット』

 


テネットから考えるノーランのオブセッションは、

時間
夫婦
SF

になりました。

 


ノーラン監督は、SF的手法を使い、同じ場面に登場する人物が抱える時間の量を変えて、そこにドラマをを作る。

そのドラマには上手くいっていない夫婦が絡んでくる。

 


どうでしょうか。

検証していくのが楽しみです。

 


蛇足:『ノーラン監督をテネットする』の意味 


これから記事を書いていく7作品は、

映画の作成順でいうと

フォロウィング(1998)

メメント(2000)

プレステージ(2006)

インセプション(2010)

インターステラー(2014)

ダンケルク(2017)

TENET テネット(2020)

になります。

 

これを、

↓④フォロウィング(1998)

↓⑤メメント(2000)

↓⑥プレステージ(2006)

インセプション(2010)

↑③インターステラー(2014)

↑②ダンケルク(2017)

↑①TENET テネット(2020)

上記のような順番で見ることで、「挟み撃ち作戦でノーラン監督のオブセッションを探っていくぜ」というそういう心意気で使われている言葉です。あまり考えずに思いついたまま使っています。

 


そういえばテネットの世界において順行の世界が赤で、逆行の世界が青で表現されているのが少し不思議です。

非常時である逆行の世界が赤色のほうが普通の気がしますけどね。

作中において逆行する人間たちの意志の静けさを青色で示していたりするのでしょうか。

これについてはまたテネットを2度3度と見るときにまた考察してみたいと思います。それか町山智浩さんに教えてもらいたい。笑

 


次はダンケルクについて書いていきます。
ではまたお会いしましょう。

『ゾンビランド:ダブルタップ』あらすじと感想。世界の終わりに4人旅【ネタバレあり】

ゾンビランド:ダブルタップ』見ました。

ゾンビランド』が2009年公開、今作が2019年なので10年の時を経ての続編になります。

 


映画上でも前作から10年経ったという設定。

 


あらすじ

 


前作での出会いから10年。

コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックはゾンビ出現後の世界で共同生活を続けていた。

 


家族のような関係を構築していた4人は、まさに多くの家族が直面するような精神的問題にぶち当たっていた。

コロンバスとウィチタは二人の関係を『結婚』へと進めるかどうかで微妙な攻勢を続けている。

いつまでもリトルロックを子ども扱いするタラハシー、思春期を迎え親離れを望むリトルロックもお互いに距離を掴みかねている。

 


コロンバスがウィチタにプロポーズを行った翌日、ウィチタとリトルロックの姿は消えてしまい.....

 


変わった組と変わらない組

 


13歳から23歳になったリトルロックアビゲイル・ブレスリンが一番変化している俳優さんでした。

少女から女性へ。

 


そして57,8になったウディ・ハレルソンも初老を感じる風貌になっていましたね。

変わらない人は20代中盤から40代くらいまではあんまり変わらず、それでも50代後半になればおじいちゃんおばあちゃん風になっていくのではないかと思います。

瞳孔は相変わらず開いていました。ウディ・ハレルソンの瞳孔は最高。

 


エマ・ストーンジェシー・アイゼンバーグはほぼ変わらず。

エマ・ストーンの演技には深みが増して、ジェシー・アイゼンバーグの役にはどこか温かみがプラスされていたように感じました。

ジェシーについてはそれも演技プランの一部の可能性大ですね。

 


一作目を見たときも思いましたが、エマ・ストーンは本当に演技が上手い俳優さんです。

ゾンビランド、ウィチタのキャラ付けが絶妙に好ましい。

 

 


主演4人はみなさん演技派です。

 


ゾンビランドファンとして見たいものが見れた続編

 


ゾンビランドでよかったのは、ウディ・ハレルソンジェシ―・アイゼンバーグの一匹狼同士がなぜか気が合ってコンビを組むところ。

姉妹以外を信用しなかったウィチタとリトルロックが、一匹狼コンビと距離を縮めていくところ。

 

 


普通なら他人とは一緒にいない4人が、絶妙な化学反応を起こして家族を見つけるところだったと思います。

 


そこに惹かれたファンとして、二作目ダブルタップでまさに見たかったものが見れたなーという感じです。

 


いつまでも仲良くコメディしててほしい。

タラハシーが10年もコロンバス、ウィチタたちといたのかと思うと改めてよさを感じます。

『神と共に 第二章:因と縁』あらすじと感想。エンタメ大傑作・爆誕【ネタバレあり】

第一章で登場した3使徒の過去編たる第二章です。

カンニム、ヘウォンメク、ドクチュンの因縁が明かされます...!

 


あらすじ

 


第一章:罪と罰で消防士キム・ジャホンの地獄裁判弁護を務めたカンニムたち。

第二章は、キム・ジャホンの弟スホンの弁護を開始する場面から始まる。

 


1000年間で49人の死者を転生させれば、カンニムたち使者は生まれ変わることができる。

スホンを転生させることができれば、彼でちょうど49人目だった。

 


スホンは信頼していた親友と部下に自らの死を隠蔽され、悪霊となった過去を持つ。(第一章)

故意の殺人ではなかったこと・彼らの立場や思いを汲み、スホンは二人を許すことにした。

それでも一度悪霊になったことから、スホンの地獄行き免除は困難を極めていた。

 


しかし、スホンは恣意的に殺害されたため、彼の悪霊化には情状酌量の余地があると主張するカンニム。

 

 


一方、寿命を迎えた老人の魂を回収するためにヘウォンメクとドクチュンは下界に降りる。

老人にはもうすぐ小学校に入学する孫がいた。

老人と孫の家には元使者であるソンジュ神(マ・ドンソク)がいて、これまで魂を回収しに来た使者から老人を守っていた。

 

 


ヘウォンメクとドクチュンはソンジュ神と交渉し、孫が小学校へ入学する日までは老人を生かしておくことで合意する。

3人で老人と孫を見守っている間に、ヘウォンメクとドクチュンの魂を回収したのはソンジュ神だったことが明かされる。

生前の記憶を失くしていた二人は、ついに自らの死の真相に辿り着く...

 

 

 


とにかく見てもらいたい。

 


この映画のネタは割りたくないのです。

ネタを知ったときアドレナリンが大量分泌されて興奮したので、ぜひみなさんにも脳内物質を分泌してほしい。

マ・ドンソクも安心安定のいいキャラなのでぜひ見てください。

 


ヘウォンメクとドクチュンというキャラクター

 


『神と共に』における最大の沼。個人的にそれはヘウォンメクとドクチュンです。

 

 

 


ヘウォンメクとドクチュンの生前の関係を知ったとき、使者としての二人の距離感を思い出し左手で胸をおさえました。

動悸、息切れとともに出てくるのは「ちょっとまって無理」という言葉だけでした。

最近はやっている「夜に駆ける」という曲でMADを作り始めそうになりました。

 


初めて会った日から
僕の心の全てを奪った
どこか儚い空気を纏う君は
寂しい目をしてたんだ

いつだってチックタックと
鳴る世界で何度だってさ
触れる心無い言葉うるさい声に
涙が零れそうでも
ありきたりな喜びきっと二人なら見つけられる

 

 


面白い映画を見たい人におすすめ

 


韓国で大ヒットしたのも納得できる、キャラクターに事情あり因縁ありの超エンターテイメント大作です。

エンターテイメント度でいうとかのディズニーにも匹敵します。

韓国エンタメが目新しい分、なんならディズニーの新作より楽しめます。

 


ドクチュンとヘウォンメクの関係性に視点を置いたドラマが作られたら絶対見るので作ってほしいですね。

ドラマ版ハンニバルの熱量で見たいな...。

『工作 黒金星と呼ばれた男』あらすじと感想。知られざる物語を明かす人【ネタバレあり】

『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』見ました。

名作です。

 


『スポットライト 世紀のスクープ』『ローグワン』が好きな人におすすめ。

作品を見なければ決して抱くことのなかった気持ちを知れるのが、いい映画のいい映画たるゆえんですね。

冒頭でこの作品はフィクションであると示されるのが辛いですが、だからこそこの作品は未来への希望を背負っているような気がします。この作品はこれから誰かの心に強く影響を与えていくんじゃないだろうか。

 


『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』といい、『神と共に』といい、今年は次々と面白い映画に出会っています。

 

あらすじ


パク・ソギョンは韓国の情報部隊、国家企画部に所属している。

北朝鮮の核開発状況を探るため、ビジネスマンに扮し北朝鮮と韓国をまたがる広告事業を展開していく。

スパイである彼は、コードネーム黒金星(ブラック・ヴィーナス)として活動を続ける。

 


北朝鮮に潜入したスパイが次々と失踪していくなか、パク・ソギョンは北朝鮮の外交官リ・ミョンウン所長の信頼を得る。

 


広告事業を共に進めていくうちに、リ・ミョンウン所長の願いは北朝鮮の経済を好転させることだと分かる。パク・ソギョンは彼の人柄や思いを知るうちに、なぜスパイとして生きているのかを自らに問うようになる。

 


パク・ソギョンとリ・ミョンウン所長による共同事業が進んでいくなか、韓国では大統領選挙の時期を迎えていた。

パク・ソギョンが所属する国家安全企画部と敵対する野党候補者キム・デジュンの当選が最有力視されている。

 


キム・デジュンが当選すれば、国家安全企画部は潰されてしまう。

国家安全企画部の上層部、パク・ソギョンの上司はキム・デジュンの当選を阻止するため、北朝鮮と談合しある工作を行おうとしていた...

 

 


歴史を超えて信念を分かち合う人たち

 


まず、『工作 黒金星と呼ばれた男』を見るまえに町山智浩さんによる解説を読むことをおすすめします。

事前に読んでなかったら映画前半の展開がわりとまどろっこしく感じるかもしれません。

 


今作は北朝鮮の高官と韓国のスパイの間に芽生えた友情が描かれた物語です。

生まれた国や文化が違っていて過ごした時間も短いのに、なぜかお互いに好感が持てる人、会ったばかりなのに妙に馬が合う人、考えを分かり合える人というのは存在するんですよね...。

北朝鮮の高官リ・ミョンウンと韓国のスパイパク・ソギョンは人間としての相性が最高に良かったんだろうと思います。

 


生まれも育ちもまったく違うのに成長の過程で"浩然の気"という言葉を知り、それを身にまとって生きてきた男たちが出会ったのです。

 


その二人を表現するイ・ソンミン(リ・ミョンウン所長)とファン・ジョンミン(パク・ソギョン)がすごいです。

二人ともいわゆる『抑えた演技』なのに、最高のファイトをされてます。

 


ラストシーンに唸った。


『工作』のようなラストシーンは今まで見たことがありませんでした。

こういう形の映画って他にもあるんですかね...。

この作品の終わり方は、ある意味一つのジャンルを作ったくらいの発明だと思います。

たまむすびでも町山智浩さんが言っていましたが、これで泣かされるのかという驚きあり、そう思うことでさらに泣けてくるというすごいシーンでした。

 


骨太のいい映画が見たい人におすすめです。

『神と共に 第一章:罪と罰』あらすじと感想。スーパー面白い大傑作・序章【ネタバレあり】

『神と共に 第一章:罪と罰』『神と共に 第二章:因と縁』見ました。

第一章ではほろほろ泣き、第二章では「無理無理ちょっと待って無理」とあまりの展開に大興奮しました。

『神と共に』二部作、最高に面白かったです。

 


あらすじ(第一章:罪と罰

 


燃え盛るビルの中から少女を抱えて飛び降りた消防士キム・ジャホンの元に、冥界の三使者カンニム、ヘウォンメク、ドクチュンが現われる。

亡者は生前の行いによって地獄へ行くかどうかの裁判を受けることになる。

殺人地獄・怠惰地獄・裏切り地獄、不義地獄・ウソ地獄…と全ての地獄行きを免れた亡者だけが、生まれ変わりの権利を得ることができる。

 

カンニムたちは弁護人として、ジャホンの生まれ変わりに尽力する。

1000年の間に49人の亡者を転生させることができれば、冥界の使者たちも人間として生まれ変わることできるのだ。

ジャホンを通過させることができれば、カンニムたちにとってジャホンは48人目の転生者になる。

 


生前の行いから亡者はランク分けされる。ジャホンは最も位の高い『貴人』の札を持たされていた。

貴人は最も転生の確率が高い。

消防士として命がけで市民を救い、身体の悪い母と裁判官を目指す弟のため昼も夜もなく働き続けていたジャホンだったが、地獄裁判を受ける中で、彼の抱える罪と罰が暴かれていく...


エンタメの渋滞


『第一章:罪と罰』にはエンターテイメントがこれでもかというほど詰め込まれていて映画のディズニーランドのようでした。

『神と共に』のここが良い!ポイントを挙げていきますね。

 


①キャラデザがいい【ヴィジュアル編】

 


カンニム、ヘウォンメク、ドクチュンのヴィジュアルがよすぎる...。

ヘウォンメクとドクチュンが格好いい&可愛いです。

三使者(とくにヘウォンメク)の衣装が最高。ドクチュンの髪型から表情から何から何まで可愛い。

スタイルも表情も俳優として魅力的すぎる三使者様方でした。

 



 


カンニムとヘウォンメクについては武器の出現シーンがかなりキマっていて、スターウォーズライトセーバーに出会った少年はこんな気持ちだったんだな...としみじみしました。

ヘウォンメクの二刀流は言語を絶する良さです。


②キャラデザがいい【性格編】

 


カンニムはマジメ系堅物ボスキャラ(チームのリーダー)、ドクチュンはマジメ系天然天使、ヘウォンメクは強くてノリの軽い馬鹿、という感じです。

冒頭十分でドクチュンとヘウォンメクのキャラクターに"何か"が掴まれるんですよね。

冒頭でガシッと掴まれているのにお話の最後には掴む力が"何か"を握り潰す勢いになっていました。

ヘウォンメク演じるチュ・ジフンとドクチュン演じるキム・ヒャンギ、あまりにも魅力的な俳優さんです。愛。


③キャラデザがいい【関係性編】

 


ヴィジュアルよし!キャラ立ちよし!の三使者ですが、三人の関係性がいちいちツボを狙い撃ちしてきます。

 


そもそも『元人間のチーム』っていうね。

生まれ変わるために1000年も共に時間を過ごし協力して生きてきた三人...。

その設定だけでも嫌いなわけがないのに、『神と共に』の繰り出す関係性パンチは止まりません。

うう。


④親子にまつわる罪と罰

 


すごくいい人そうな消防士キム・ジャホンの地獄裁判所めぐりが第一章の主軸になっています。

身体が悪くろうあ者である母スジョンと裁判官を目指している現在は兵役中の弟スホンとの過去が露わになっていくのですが、韓国の映画はこれだけエンタメを追求してもやはり儒教思想と共にあるんだなぁと感じる仕上がりでした。本作は死後裁判がテーマなので、とくに儒教的な価値観が濃く見えるのかもしれない。

見ごたえがあります。スホンが意外と超重要人物です。

 



⑤楽しい地獄めぐり

 


ヘウォンメクとドクチュンはジャホンを連れて7つの地獄を巡ります。(カンニムは訳あって単独行動)

それがまぁすごい楽しいアトラクションでした。

魑魅魍魎に追いかけられながらのトロッコ、ウォータースライダー、飛行船と、楽しくないはずがない。

映画館で見たら楽しすぎて笑ってしまうやつですね。

 



 


⑥アクションがすごい

 


絶対『ジャンパー』参考にしただろ!という瞬間移動アクションが楽しいです。

カンニムとヘウォンメクの衣装がまた戦闘に映えます。天才。

 


まとめ:面白かった。

 


第二章のあらすじ感想はまた今度。

第一章はエンタメアクションサスペンスドラマ、第二章はマ・ドンソクも登場して三使者の過去が解き明かされる展開になります。

今年は『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』がベストかなと思っていたのですが、『神と共に』めちゃくちゃ面白かったですね。嬉しい悲鳴です。

 


また第二章の感想で書きますが、ドクチュンとヘウォンメクのMADを作りたくなるほどに二人にハマりました。

 

 


おまけ:視聴直後の早口感想

 


サスペンス要素もあり、ハリウッド大作をパロディするコメディもあり、ドラマもあり、韓流ドラマ真骨頂のあの要素もあり、超かっこいいアクションもあり、非常にジャンル分けが難しい作品。強いて言うなら『アクション・ドラマ』。アクションとドラマとその他の要素が3:5:5みたいなそんな感じ。10では例えられない。

韓国の映画はパラサイトと新感染とグエムルが面白かったなーくらいの親しみだが、『神と共に』はダントツで好きだった。

パラサイトのアカデミー賞作品賞受賞のときも思ったが、(比べるのはナンセンスだと思いつつも)もし自分が日本で映画を作っている人間で『神と共に』を見たとしたら悔しさで発狂してるだろうなというほど面白かった。

いち映画ファンとしては韓国映画レベル高すぎじゃないか????何なら国全体がピクサーみたいになってるんじゃないか????脚本と技術と俳優のレベルが高すぎじゃないか??????と戸惑う。この感じで作品を供給されてしまったらディズニーの新作を追う位の気持ちで韓国のヒット作品を追ってしまう。というかもうすでに絶対追う。

(韓国の映画面白すぎてちょっと悔しいという感情がにじみ出ている感想。今までハリウッド映画が一番面白いんやと思っていたけれどなんていうか最近の韓国映画ハリウッドより....(比べるのはナンセンスだがそれでも脳裏によぎる)ハリウッドより面白くね?という実感がどこか悲しくもあり、でも個人的には断然MCUより神と共にのほうが面白くてまた新しい面白さを体感できたことが嬉しくて...という気持ち。ヘウォンメクかっこよすぎて無理だった。工作みます。)

(直近の日本の映画で一番面白かったのは『シン・コジラ』でハリウッド映画では『ボヘミアン・ラプソディ』。そこに『神と共に』を並べるとしたら三作ともに「甲!甲!甲!」だが、『神と共に』の面白さは既存の路線にマサラと韓国の風味を感じなおかつそれがとてもエキサイティングであるところに「初めて出会った面白さ」を感じた...。あらゆる感情を網羅してやるぜ!というところがインドだし、ストーリーは韓国だしストーリーの組み立てはピクサーだし一部二部の広がり方はハンガーゲームっぽいしビジュアルと技術はハリウッドだし武器召喚シーンにいたっては過去最高に好みだったし...エンタメの新世界を見た)

最近の世界映画界に対する思いはワールドカップを応援している人の気持ちに近いような気がする。サッカーが好きなのが大前提ですごいプレーを見ると興奮する。ワールドカップ好きな人の気持ちが分かるようになった。

日本のNetflix上位が韓国のドラマであることを考えると、私はエンタメの新世界にすでに乗り遅れていたんだろう...。

『ロケットマン』あらすじと感想。インナーチャイルドを救え【ネタバレあり】

こんにちは、カミオモトです。

今日は『ボヘミアン・ラプソディ』に続くロックシンガー伝記映画、『ロケットマン』見ました。

 

 


エルトン・ジョンの半生を描いたミュージカル映画になっております。

『Your song』がとても有名で、いい曲ですね。

 


作中『エヴァアニメ最終話だ...!』となるようなシーンがあります。

どちらもインナーチャイルドを映像化している作品です。

 


あらすじ

 


レジナルド・ドワイト(のちにエルトン・ジョンと改名)は音楽の天才だった。

ピアノなど触ったこともないのに、ラジオで流れていた曲をなぞって弾くことができる。

 


レジナルドは父と母から愛されることがなかった。そして彼はゲイだった。

その苦しみを心の奥に抱えながら青年になったレジナルドは今までの名前を捨て、エルトン・ジョンになった。

引っ込み思案で傷つきやすいレジナルドはもういない。天才的な音楽の才能をもつロックスターとして生まれ変わる。

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=oQ_F3MMLArY)

エルトン・ジョンはレコード会社から作詞家のバーニー・トーピンを紹介される。

稀代のメロディメイカーだが作詞はできないジョンは、バーニーの詞によって自分の心を歌にすることができるようになった。

なによりバーニーは彼のはじめての親友になった。

 

 


はじめての友だち

 


ムーミンパパの名言で

わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。つまり、わたしは、ほんとうの意味で、生きることをはじめたのでした。

というのがあります。

 


エルトンとバーニーの出会いはまさにその通りで、エルトンはバーニーと出会って初めて親愛の気持ちを知ります。

同じ音楽が好きで、彼は作詞、自分は作曲、二人で最高のものを作っていく。最高のコンビに出会うのです。

 


エルトンはバーニーに恋心を抱きますが、バーニーは同性であるエルトンに恋愛感情はありません。

その上で、確かにバーニーはエルトンを愛しています。

ボヘミアン・ラプソディでもフレディはメアリーのことを愛していました。

 


バーニーが抱くエルトンへの愛は、心から相手を信頼し尊敬する気持ちです。

性愛をかわし合うことはできず、ずっと一緒にいることもないけれど。

 

 


ロック・シンガー伝記映画2部作(3部作を心から希望)には

心から愛していること、恋愛としては上手くいかないこと(同性愛が関係)
名前を変えて新しい自分になること(そして過去の自分を癒すこと)

の2点が描かれていますね。

 


そこがドツボなので、ボラプもロケットマンもマイベストムービーの一つです。

ボラプのメインの監督がブライアン・シンガーで、ロケットマンの監督はデクスター・フレッチャーということで、この2点はいったい誰の性癖なんでしょうね...!!?? それが知りたい。

 


3作目はマイケル・ジャクソン

 


ボラプ、ロケットマンに続くロック・シンガー伝記映画三作目の主人公はマイケルジャクソンになるのではないかという情報を入手しました。

マイケル・ジャクソンの伝記映画が来夏公開に向けて制作開始! 『ボヘミアン・ラプソディ』のプロデューサーが着手

 


だとしたら最高ですね。

マイケル・ジャクソンはフレディやエルトン・ジョンに比べて描くのが難しそうですが、それでも彼の楽曲を彼の人生とともに映画館で聴くのは最高の体験になるでしょう。

俳優はまたラミ・マレックじゃないかと予想します。

でもそうなるとラミ・マレックの精神状態がやや心配。フレディとマイケルを演じるのはとてつもない負荷がかかりそうです。

 


そしてまさかのバニー・トーピン役のジェイミー・ベルリトルダンサーのあの子だったと知り衝撃を受けています。

君だったのか......!!!

 


作中に流れるロケットマンがすごくいい

 


作品の中盤でエルトンの子ども時代を演じるマシュー・イレスリーロケットマンを歌います。

そしてタロン・エジャトンにつないでいくのですが、このシーンでは音楽と物語、映画でしか表現できないものを感じます。

 

 


ぜひ三作目でもジョン・リードをゲースロ俳優さんが演じてほしいですね!

ヴァリスかシオン、タイウィンあたりに期待です。